ぼんやりと歩いていて、ふと現れた人影に気が付き顔を上げると、彼は目の前で笑っていた。
ふわふわの金色の髪はまるで光っているように綺麗で、暗がりの中でも、彼の姿は輝いて見えた。















寄り道をして遅くなった部活終わりの帰り道、夜の帳が下りはじめ街が夜色に染まる中その人の姿はずいぶんとはっきり見えて、その姿に、俺は一瞬目を奪われた。

「光、この間はおおきに!」

「………」

突然馴々しく話し掛けてきたその人を、俺は訝しげに見つめた。
彼はそんな俺を見て、にっこりと笑う。

「え、なんすか……」

「この間助けてくれたやろ?お礼言お思て。おおきに。」

こんなん助けた覚えはない。そもそも人助けすら、少なくとも『この間』と称されるほど最近した覚えはない。
なんや、一体。変な人やとは思った。けど、悪い人ではない気がした。

「あんた、何で俺の名前知っとるん?」

せやから相手をした。ほんの気紛れやった、知らない人が自分の名前を知っとるから気になっただけや。
そう自分に言い聞かせて、その笑顔に目を奪われていることに、早鐘を打つ鼓動に、気付かないフリをした。

梅雨が明けたばかりの、蒸し暑い夏の初めの頃のことだった。





この時既に俺は、彼に心を奪われていたのかもしれない。









「光、光」

学校帰り、彼は俺の帰りをいつも待っていた。
あれから7日経つけれど、普段何をしているのか、彼は必ず毎日そこにいた。
暗がりの中でも彼の姿はよく見えて、容易に見付ける事ができた。

「謙也さん」

会って何をするわけでもない。彼はただ、俺に会いに来て話をするだけ。鬱陶しいと初めは思った。
彼はしきりに「助けてもらった」というけれど、俺は彼を助けた覚えはない。
俺の名前はその時一緒にいた人が呼んで知ったとか。
一緒に帰って俺を名前で呼ぶってことは、たぶん幼なじみの金ちゃんやけど、金ちゃんと一緒に居る時こんな人に会った覚えはない。
理由のわからない感謝をされても反応に困るだけだと初めは思っていたけれど。
彼と話すのは楽しくて、いつの間にか謙也さんと会うことが楽しみになっていた。

「謙也さんは、なんでいつもここに居るんすか?」

「え?光に会いたいから。」

「そうやなくて……まあええわ」

彼は不思議な人だった。学校に通っている様子もなければ働いている様子もない。ただ毎日当たり前のように、俺を待っていた。

「光はいつもなんか持っとるな。なに?それ。学校で使うん?」

「ああ、ラケットバック、テニスの道具っすわ。これでボールを打ち合って競うんやけど……」

「ええなぁ、俺も光と学校行きたいなぁ」

時折漏れる彼の言葉から、なんとなくは察していた。謙也さんが、普通の人ではないことを。
けれど、俺はそれを詳しくは聞けなかった。聞いたらただ楽しいこの毎日が終わってしまう気がしたから。
謙也さんは俺の日常をやたらと聞きたがった。
俺にとって退屈な授業や、楽しいけどキツい部活、休みの日にしている事や、好きなものの話。たくさん話して聞かせたった。そんな話が全て、謙也さんには珍しいらしく新鮮なことらしかった。



楽しい毎日やった。
けれど、その時は確かに近付いていて、そしてある日突然に、その日は訪れた。

「謙也さん」

「光、おかえり」

最近、謙也さんに元気がない。少しずつ弱っていくような彼の変化に、俺は不安を感じていた。

「謙也さん……具合悪いんとちゃいます?送ってきますよ。」

「え……?」

「家、近いんですやろ?どの辺すか?」

その問いに、彼は狼狽えているようだった。何かまずいことを聞いただろうか。あまり自分の事を話したがらない彼にとっては、聞かれたくないことだったのかもしれない。
そう思って話題を変えようと口を開き掛けたとき、謙也さんは意を決したようにそっと腕を持ち上げ、近くにある公園を指差した。
そこは、自然公園として保護された小さな林のようなところで、小川まで流れている自然豊かな土地で、人が住むような場所ではない。
誤魔化しているのだろうかと思い、もうこれ以上聞くのはよそうと思った時。



「光〜!」

聞きなれた声に振り返ると、遠くから走ってくる幼なじみの姿が見えた。

「金ちゃん」

速い足であっという間に俺の前まで走ってきた金ちゃんは、きょとんとした顔で俺に言った。

「こんなとこで1人で何しとるん?」

「は?1人って……」

おかしな言葉に、謙也さんのいた方向に向き直る。しかしそこには、もう誰もいなかった。

「え……謙也さん……?」

「?誰か居ったん?」

「居ったやろ?さっきまでここに。」

「居らんかったで。ワイが光見付けたときは居らんかった。」

んなアホな。金ちゃんに呼ばれる直前まで目の前にいた謙也さんを、金ちゃんが見ていないなんて。それじゃあまるで、俺にだけ見えていたみたいやないか。

「あっ!」

「な、なんや。」

すっと、金ちゃんが公園を指差す。そこには小さな光がみえた。光は公園の木々に隠れて、やがて見えなくなった。

「蛍さんや。あれ光が助けた蛍さんやないか?」

「……は?」

「この間、蛍さん捕まえた小学生に言うてたやん。二週間しか生きられないんやから逃がしたりやって。」

「……あ」

どくんと心臓が脈打った。あの人の言葉が、脳裏に甦る。『助けてもらった』彼は確かに、そういっていた。

「金ちゃん…すまん俺、行かな……」

金ちゃんにそう言い残して、俺は小さな光の後を追い掛けた。ばらばらだった疑問が解けて、一つに繋がった気がした。そしてその答えが意味するものは、俺が何よりも恐れていたことで。

「謙也さんっ!」

このまま別れれば二度と、彼とは会えない気がした。

「謙也さん!謙也さ」

暗い足元はよく見えなくて、何かに足をとられて転倒した。

「っ!」

派手に転んだから、擦り剥いているかもしれない。けど、そんな事に構っていられない。
確信があった。彼は必ずここにいる。そして今諦めたら、一生後悔する気がした。

「謙也さん……っ」

俺が最も恐れていたことは、彼と過ごす他愛ない時間が終わる事。


「光…」

耳に響いた声に顔を上げると、小さな光が降りてきた。そしてその光は、俺の見慣れた姿に変わる。暗い闇の中なのに、その姿だけは鮮明に見えた。

「謙也さん……っ」

「光……黙っててごめん……俺な、もう、光と居られへん……」

「そんな、なんで…」

「もう、気付いとると思うけど……俺は人やない…光に助けてもらった蛍なんや……」

「……」

「あの日、光に会うて、それからずっと光のこと見てた。光と同じになりたいって、光と話がしたいってずっとずっと祈ってて、そしたら、ほんまにそうなれてん」

「ほな、ずっとそのままおればええやないですか……。なんで居られへんなんて言うんすか!俺はアンタが蛍だろうと何だろうと構わない!アンタが居ればそれで」

謙也さんは悲しそうに目を伏せると、静かに首を振った。わかっとる、俺はもうわかっとる。
彼と出会ってからもうすぐ二週間になる。
俺は自分で、それを口にしたんやから。

「もう、さよならやねん……俺、二週間しか生きられへんから。」

それでも、信じたくなかった。彼がもうすぐ、死んでしまうなんて。

「今度生まれ変わる時は、光と同じがええな。光と同じ学校通って、同じ部活入って、一緒のコートでテニスしたいな。」

「謙也さん……っ」

「俺、幸せやった。光と出会って光と過ごして、ほんまに幸せやった。」

謙也さんの姿が、段々と透けていく。
謙也さんを包む光が消えていく。
それが何を示しているのかわかる。
その光は謙也さんの命なんや。
それが消えると言う事は、謙也さんの生命も一緒に消えるという事。

「謙也さんっ!」

俺は縋る思いで謙也さんを抱き締める。
謙也さんは一瞬驚いて、そっと腕を俺の背中に回した。

「光に会えて良かった……俺…初めて会うた時から、ずっと、光の…こと………」

「謙也さん……?謙也さん!!」

もっと強く抱き締めようと、腕に力を込めた。
せやけど、その力は何もない空中で空回っただけ。
腕の中には、もう誰もいない。
あの人が立って居たはずの場所には一匹の、小さな蛍の亡骸があるだけだった。

「ずるいっすわ…謙也さん……」

言葉の続きも言わず、俺の気持ちも残したまま、居なくなってしまうなんて。





彼と過ごした日々は、俺の人生の中のほんの一瞬やったけど あの人の笑顔みたいにキラキラに輝いていて、たぶん、きっと


これは、恋だった。













不思議な夢を見た気がする。
何だかとても温かくて愛しくて、そして切ない夢を。











目が覚めると、外は気持ちの良い快晴だった。
今日から新しい生活が始まる。
そのせいなのか、柄にもなく逸る気持ちを抑えて、家を出た。
卸したての制服に身を包んで、今日から通う学校に向かって歩きだす。
その途中、大きな公園が目に入った。
自然公園として保護されたそこは、ずっと昔からかわらずここにあるのだという。
そんな公園を、まるで懐かしいものでも見るように見つめる人がいた。
キラキラ光る金色の髪。その輝きが、何故か懐かしい。
その光を、ずっと昔から知っている気がする。
ふと、彼がこちらを振り向いた。
その瞬間、彼は一瞬驚いた顔をした後、その金糸のような髪と同じくらいキラキラ輝くような笑顔を俺に向ける。
もともと速かった鼓動が、一際高鳴ったのを感じた。
この胸に広がる気持ちの正体を、俺はもう知っている。


それは、きっと恋だった。

〜fin〜

2011/11/16up