暖かい日が草木を照らして、緑の光が反射している。
見慣れた庭に、もう春とは呼べないような、初夏の香りが漂っていた。
―初夏の風―
ある晴れた日曜日、俺は約束の時間が来るまでの空いた時間を持て余していた。
お茶菓子は用意したし、勉強の仕度も済ませてある。
一緒に宿題をやろう、と 言い出したのは向日さんの方だった。
同じ学年の人とやった方がいいのではないかと思い そのまま素直に口に出して、『鈍感』と小突かれたのは昨日のこと。
その時やっと理解した、会いたいと言ってくれているのだと。同時に嬉しさが込み上げた。
了解すると、彼も嬉しそうに笑ってくれた。
約束の時間まで後1時間、どうにも落ち着かず俺は自分の部屋を出て飲み物を飲みに台所を訪れた。
そんな俺を見るや否や、母がにっこりと笑顔を向ける。
「あら、若さんちょうど良かったわ。お庭の植木に水をあげてくれる?」
ちょうど暇を持て余していたところだ、断る理由もない。
俺は麦茶を飲み終えたコップを流し台に置いて返事を返した。
「わかりました。」
言われたとおり庭に向かい、ホースで水を撒く。
春と呼ぶには少し違う、五月の庭には緑の葉が茂り季節の花が咲いている。
ホースの先を指で強く押さえると、霧状の水が地面を濡らした。
細かい水に光が反射して現れた虹は鮮やかで、初夏の庭に良く映えた。
水を撒き終わった庭の土は仄かに草木の爽やかな香りがし、花や葉には撒いたばかりの水が水滴を作り、キラキラと光っていた。
縁側に腰掛けると少し低くなった視線は庭をちょうど良い位置で見渡せた。
こんな光景は嫌いではない、もうすぐ梅雨に入ってしまうと、カラっと晴れた空も空気も、こんな光景も暫く見られなくなるのだろう。
水の匂いを含んだ涼しい風が心地よい。
つい腰掛けた縁側に寝転がった。
暖かいとはいえ、身体を横たえた其処は少しヒヤリとした。
無意識に目を閉じる、初夏の香りを乗せた風が 自分を通り過ぎていくのを肌で感じた。
ふと、目を開けると 隣に誰かが居るのを気配で感じた。
頭だけ動かし、その方向を見ると、見知った横顔に風にサラサラと揺られる紅い髪。
そのヒトは、俺の様子に気付いて真っ直ぐに前を見ていた顔をこちらに向けた。
「よぉ、起きたか。」
ぼんやりとしていた思考が一気にクリアになる。
俺は慌てて飛び起きた。
「向日さん!?」
部屋にかけてあった時計を確認すると、約束の時間から一時間も過ぎていた。
「俺…寝て…?」
「わりぃ、気持ち良さそうに寝てたからさ。」
「俺こそすみません、約束の時間過ぎてしまって…。」
俺が謝ると、向日さんは微笑んで手を顔の前で小さく振った。
「いいって、お前最近部活の後も毎日残って練習してるし、その後家で武術の稽古してんだろ? 朝だって早いし、疲れてたんだよ。それに、庭見てたから退屈しなかったぜ。お前んちの庭すっげー綺麗だよな。」
そうい言いながら再び庭に視線を向ける。
「何か、夏の匂いがする。」
真っ直ぐに見つめている横顔は、何だかいつもより少し 大人っぽい表情をしていた。
「でも…折角貴方と約束していたのに…。」
そう言うと、彼は少し考えるそうな素振りを見せた。
「そうだな〜じゃあ埋め合わせとして来週の日曜日も俺と会うこと。」
約束な そう言って向日さんは、小指を立てた手を俺の前に差し出した。
小首を傾げて俺に笑顔を向けた向日さんの紅い髪が、サラッと揺れた。
自然と唇が笑みの形をつくる。
「はい。」
俺も同じように小指を立てた手を差し出し、指を絡めた。
“ゆびきった”の掛け声と共に絡めた指が離れると、彼は楽しそうに言った。
「よし、約束な。」
「ええ、約束です。」
お互いに確かめ合うように同じ言葉を言い合う。
もう一度微笑むと向日さんが立ち上がった。
「よ〜っし、じゃあ宿題やるか!」
「そうですね。だいぶ遅くなってしまいましたけど、向日さん今日中に終わりますか?」
「なっ!どういう意味だよ!!」
頬を膨らませて拗ねたような態度と示す向日さんに謝りながら、俺達は縁側を離れた。
初夏の香りを乗せた風が 俺達を包んでいた。
〜fin〜