壊れてしまえばいい 醜い感情が俺の胸に渦巻いていて、そんな自分に吐気がした。
あいつに幸せになってほしいと望みながらその想いが叶わなければいいと願う。
矛盾だらけの感情が、俺の心を支配していた。
―カタオモイ―
「好きな人が居る」そんな話を持ち掛けられて一瞬期待した、同時に恐怖もあった。
そんな二つの可能性、前者が圧倒的に低いのは、分かっていたけれど。
「宍戸さんが好きなんだ。」
その言葉に愕然としたのを覚えている。
それから、度々相談を受けるようになった。
正直聞きたくないと思ったけれど、それを突き放せなくて、その度に胸が痛む。
胸の奥に小さな何かが刺さるみたいに、それが積み重なって、小さかった痛みはやがて強くなっていった。
そんな日々が、暫く続いた。
鳳は、そんな俺の気持ちに気付く筈もなく、無邪気に残酷にあの人への想いを話して聞かせた。
いつもの部活、いつもの光景。
部活に行けば、嫌でも目にはいる二人の姿。
見ていたくない、のに、どうしても二人の姿は視界にちらつく。
楽しそうな二人の様子を見ていると、俺の中で黒い感情が沸き上がる。
『ああ、壊れてしまえばいいのに』
そんな、呪いじみた想いを抱く俺の背に、唐突に衝撃が走る。
「いっ!った…」
「日吉っ顔怖い。」
振り返れば其処には、小さな先輩の姿があった。
「…向日さん」
眉間に皺が寄るのが自分でも分かった。
睨むような俺の目に、目の前のこの人は当然気付いている筈なのに 怯む様子もなく、反応に困った。
近頃こんなことが度々ある。
部活中でも校舎内でも、俺にちょっかいをかけてくる先輩が何人かいた。
芥川先輩や忍足先輩など、人数は時と場合に寄り増えるが、どんな時でもその中にこの人がいる気がする。
俺よりずっと小さいくせに気が強くて、俺は正直、この先輩が苦手だった。
ある日の昼休み、いつものように鳳が俺の元へやってくる。
宍戸先輩の話を聞くのは、快く思えないというのが本音だけれど、
この時だけは鳳を独占出来る、そんなささやかな喜びと優越感がこの時間を耐える力になる。
「…それでね、日吉…あの…」
「…なんだよ」
躊躇うように言葉を詰まらせた鳳に、俺はつい聞き返す。
その続きに、どんな言葉が待ってるかも知らずに。
「…告白、しようと思うんだ。」
一瞬、何を言われたのか解らなかった。
やがて理解した後、俺の喉から出た声は おそらく震えていただろう。
また、僅かな期待を込めて 聞く。
「…誰に?」
分かっていた、返ってくる答えは一つだと、知っていたのに。
「え…あの…宍戸さん…に」
拳を握りしめて、黙っている俺に、鳳は続けた。
「男同士だし、迷惑だって思うんだけど、やっぱり好きだから…。気持ち、伝えたいって思って…」
「…いいんじゃないか?」
「え…?」
「言ったらいいんじゃないか?このままじゃ何も変わらないだろ?」
そう言ってやると、鳳は決意したように表情を変えて、笑った。
「ありがとう、日吉」
そんな鳳の笑顔に、罪悪感が込み上げる。
「うまくいくといいな」口ではそう言った、けれどそれとは裏腹に、俺は願っていた。
『その想いが、叶わなければ良いのに』と。
広い氷帝学園の敷地内でそれに出くわしたのは そんな俺への 罰だろうか
鳳に話を聞いた翌日、人気のない裏庭で二つの人影を見た。
よりによって一番見たくない場面だというのに、目が離せない。
顔を赤く染めた鳳が何かを口にしている。
声は聞き取れないけれど、その内容は容易に想像がついた。
驚き、戸惑うような宍戸先輩の仕草。
鳳に昨日聞いた話。
会話は当然、昨日聞いたことだろう。
その答えがどうなるか知りたい、けれど、知りたくない。
そんな思いが渦巻いて、俺はその場から一歩も動けなかった。
やがて宍戸先輩は何か言葉を返した。やはり声は聞こえない。
その言葉が、鳳にとって一番辛い言葉であることを望む自分が、嫌で仕方がなかった。
でも、やはり何処かで期待をする。
声が聞き取れないこの状況で、その答えを知る術は鳳の反応だけ。
鳳は弾かれたように俯いていた顔をあげ そして 嬉しそうに微笑んだ。
それから俺は、踵を返してその場から逃げ出した。
どこでもよかった、ただ 二人の姿が見える位置から離れたくて。
誰も居ない屋上に駆け込み、俺は声を殺して泣いた。
叶わなかった恋は、砕けて胸に深く刺さるかのように痛くて、どうしようもなく苦しい。
そんな俺には、他の誰かの事なんて考える余裕はなかった。
不意に背後で激しい物音が響く。
重い鉄の扉を勢いよく開けられて、思わずそちらを振り向いた。
そして、そこに立つ人を見て眉を顰めた。
この顔を他人に見られたこともあるが、それ以上に、相手が向日さんだったということにだ。
笑われるか、からかわれるに決まっている。
そう思い目を反らした。
しかし向日さんは、笑うこともからかうこともせず、肩で息をしながら言葉を択ぶように口篭る。
そんな様子で暫く考えたあと、息を整えて声を発した。
「隣…行っていい?」
「…どうぞ」
これ以上見られたくなくて顔を背けて言うと、足音が近付いてくる。
そして俺の隣まで来ると、また暫く黙りこくる。
そんな様子をちらりと横目で見て、俺は その場から逃げるように立ち去ろうとした。
しかし
「日吉っ」
腕を捕まれ引っ張られて、突然のことに俺は反応できず
気が付けば向日さんの胸に抱き寄せられるように抱き締められていた。
「なにするんですかっ!」
思わず怒鳴ってしまったけれど、向日さんは離してくれることはなく さらにぎゅっと力を込められた。
「俺さ、見てないから…泣いていいぜ。」
予想外の言葉にとっさに離れようともがくが、それでも離してくれず、また俺も、その小さな体を、全力で押し退けることは出来なかった。
「涙って意味があるから流れるんだよ…そんな風に…我慢しなくていいよ。」
「…俺は、別に」
「泣いて全部忘れるなんて出来ないけどな…泣きたい時は思いきり泣いた方が、絶対いい。」
優しい言葉に、一度は止まりかけた涙が再び溢れた。
この人が俺の泣いている理由をどこまで知っているのか、なぜこんなに気にかけてくれるのか、疑問は色々あったけれど、今はどうでもいい。
俺は声を抑えることも忘れて泣いていた。
そんな俺を、向日さんは細い腕でぎゅっと抱き締めたまま黙っていた。
一頻り泣いて、気持ちが少し落ち着いてくると、止め処なく流れていた涙もようやく止まった。
同時に気付く、俺以外にもう一つ、すすり泣くような声がある事に。
今度はそっと、促すように向日さんの体を両手で押すと、俺は簡単に解放された。
「…何で、アンタまで泣いてんですか。」
目の当たりにした泣き顔にこっちが動揺する。
こんな顔、見たことがない。
「…っもらい泣きだよ、もらい泣き!」
顔を赤く染めて、必死に言い訳をするその姿に、思わず頬が緩む。
それを見た彼は、今度は泣き顔を一変させ笑みを浮かべた。
その笑顔に、一瞬どきりとする。
さっきまでの苦しみが嘘のように和らいでいて、胸の奥が熱くなる。
この人に泣き顔を見られたことも、慰められたことも癪だけれど、今は、素直に感謝しておく。
「…ありがとうございました。」
「おぅ…もう大丈夫か?」
「はい」
あんな風に泣いたのに、向日さんは理由を聞かなかった。
泣き腫らしてお互い赤くなった目が元に戻るまで、ただ笑って、他愛ない話をしながら側に居てくれた。
翌日、いつものように登校すると、鳳が校門の前で待っていた。
俺を見付けると、手を振って駆け寄ってくる。
用件は、なんとなく想像がついた。
「おはよう、日吉っ」
「ああ、おはよう」
「あのね、ちょっといい?」
頬を赤く染めて、鳳は俺の耳元で、囁くような小さな声で言った。
『うまくいったんだ』と。
「ありがとう日吉」
「ああ、良かったな。」
辛くないと言えば嘘になる、だけど、口から出たその言葉に嘘はなかった。
そう思えるようになったのは、少しは気持ちの整理がついた為だろう。
「あっ」
俺たちの前を歩く後ろ姿を見付けて、ただでさえ赤い顔をしていた鳳の顔が更に赤くなる。
戸惑っている様子の鳳の背中に手を置いて軽く押してやると、鳳は振り返り、俺に笑顔を見せた後走っていった。
俺はその姿を見送り、思う。
今はまだ胸は痛むけれど、いつか心から二人の幸せを、願える時が来るだろうか。と。
突然 バシンと小気味いい音が響き、背中に痛みが走った。
「いった!」
振り返ると、いつものように小さな先輩が其処にいた。
俺の抗議の眼差しに気付いているのかいないのか、ふてくされたような難しい顔をした先輩はどうも俺の様子を窺っているようだった。
「…よう」
「おはようございます。」
向日さんはまだちらちらと、俺の顔を気にしながら見ている。
その様子がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。
「ほら、遅刻しますよ。向日さん。」
そう言って背を向けた所に、後ろから飛び掛られた。
「ちょっと!何するんですか!」
俺の抗議の声も、どうやら効果はないらしく ぎゅっとしがみ付くように背中に乗る向日さんは急に機嫌がよくなったようだ。
わかりにくいけれど、この人はこの人なりに 俺の事を心配してくれていたのだろうか。
今俺が、こんなに穏やかな気持ちでいられるのはきっと、この人のお陰だと思う。
「向日さん」
「ん?」
背中に乗る向日さんに、俺はもう一度感謝の言葉を伝える。
「ありがとうございます。昨日、アンタに会えて良かった。」
背中に乗っていた向日さんの重みが消え、振り返ると、顔を真っ赤にして驚いたような表情をした向日さんが呆然と立っていた。
それを可愛いと思ってしまった自分に戸惑う。
けれど、こんな気持ちも悪くないと思った。
まだ、暫くは この想いを捨てることは きっとできないけれど。
いつか本当に思い出に出来たなら 新しい恋をしよう。
――その恋が、本当はもう 始まっていたことに気付くのは、もう少し 後のお話――
〜fin〜