何故、こんなことになってもうたのか。
何故あの時、あんなことを言ってもうたのか。
今となってはその理由すらもう覚えてへん。
それくらい喧嘩のきっかけなんて些細なもので、どうでもいいことやったのに。
そんな些細な事で、俺は大切な人を傷付けてもうた。
これは俺に与えられた罰なんやろか…?
大切な人を傷付けたから、神様が彼の中から俺を消してしもたんやろか…?
もしそうなら何度だって謝るから、もうあんなこと言わへんから。
俺の恋人を、大切な人を、俺達の思い出を…どうか、返してください











「謙也さん…っ!謙也さん!!」

白いベッドに横たわる恋人の名前を、俺は必死で何度も呼んだ。
瞼を伏せたままの謙也さんに縋り付くように。
力の入っていない手を握り締めて、何度も、何度も。
こんなことになるんなら、意地なんかはるんやなかった。
喧嘩なんかするんやなかった。
俺の所為や、俺が…あんなこと言うたから。

「謙也さん…っ」

「財前、落ち着き…先生の話やと軽い脳震盪らしいから。大丈夫や…きっとすぐに」

「ほんまですか!?ほんまに…っ!?」

見上げた部長は優しく微笑んで、あやすように俺の頭を撫でた。
大丈夫って、その言葉が不安に満ちた俺の心に染みる。
大丈夫、謙也さんは必ず目を覚ましてくれる。
そしたらさっきのことを全部謝って、仲直りのキスをしよう。
だから、だから早よう、謙也さん。目を覚まして…。
そう願って、謙也さんの手を握るこの手に力を込める。
すると、

「っ、謙也さん!」

指先がピクンと動いて、長い睫毛が震えた。
そっと開かれる瞼から覗く瞳を食い入るように見つめていると、数度瞬いた瞳を細めて謙也さんは笑った。
途端に力が抜けて、俺はその場にへたりこむ。
ほんまに良かった、そう思っていた矢先だった。

「あの、どちらさん?」

「え……?」

「テニス部の子ぉ?」

何?何…言うとるんや…?

「謙…」

「白石、皆も。あれ…俺どうしたんやっけ?」

「謙、也…?何……」

部長も謙也さんの発言が信じられないのか、目を見張ったまま固まっている。
それは周りの皆も同じやった。
悪い冗談やと思いたかった。
俺と喧嘩したから、ちょっとした仕返しのつもりなんやと。
せやけど

「記憶、喪失…」






精密検査や幾つもの問診を受けて導きだされた答え。
それは俺が一番否定したかった結論やった。
謙也さんには記憶がない、それも覚えていないのは、俺の事だけやった。
自分のことも家族のことも仲間のこともテニス部のことも覚えとるのに、俺の事だけを覚えていないと言う。
とても嘘を言っているようには思えんかった。
詰め寄った俺に、謙也さんは心底辛そうな顔をして謝った。
忘れてしまってごめんと。




記憶障害が起こっているから念の為にと、謙也さんは数日入院することになった。
せやから俺は、あれから毎日病院に通っとる。
最初は戸惑っていた謙也さんも、翌日にはすぐに笑顔を見せてくれるようになった。

「謙也さん」

「財前!今日も来てくれたんや。部活の後やと疲れとるやろに…」

「気にせんといてください。俺、そんなヤワやないっすわ」

謙也さんは、前のように俺を光とは呼ばない。
記憶がないんやから当然なのかもしれんけど、それが俺にはえらい辛かった。
俺と謙也さんの間にある気持ちの距離が、途方もなく離れとって。
それでも、俺が泣いたら謙也さんも辛そうな顔をするから、俺は謙也さんの前では笑う。
どんなに辛くても。

「林檎、食べます?」

「買うてきてくれたん?おおきに。」

シャリシャリと、林檎の皮を剥く音だけが病室に響く。
元々明るい性格の謙也さんは、記憶がなくてもすぐに打ち解けてくれたけど、今日はやけに大人しい。
俯いたまま、何か考えてるようやった。

「謙也さん?どないしたん?」

「あんな?財前…俺…明日退院なんや」

「ほんまですか?おめでとうございます」

「……ごめんな、結局俺、財前の事なんも思い出せんままで…」

漸く顔を上げたと思えば、そんな事を言う。
ほんまに、どこまでもお人好しなんや、この人は。
この数日間、謙也さんは懸命に俺を思い出そうとしてくれた。
それでも今日まで、その記憶は戻らんかったけど。

「謙也さん、俺の事は、ゆっくり思い出してくれたらええっすわ。それに、ここより学校のがずっとその可能性高いんやし。」

「おん……おおきに。なっ、今日もなんか聞かせて?」

「せやなぁ、俺と漫才やった時の話とか。」

「何それ!」

謙也さんはこうして俺に、俺との思い出を聞いてくる。
謙也さんが俺の事を思い出そうとしてくれとる。
せやから俺は、俺が知っとる謙也さんとの思い出を出来る限り話して聞かせた。
ただ、一つ、俺たちの関係を除いて。

「俺と財前てほんま仲良かったんやな」

「…せやで、俺等ダブルスパートナーやし」

謙也さんには、自分はダブルスのパートナーで、俺にとっては謙也さんが一番仲の良い先輩やったと、そう教えた。
俺等が恋仲であったことは、謙也さんには話しとらん。
それは、ただでさえこの事態に困惑している謙也さんをさらに混乱させたくなかったから。
それに、もしその事を伝えた時受け入れて貰えなかったら…そう思うと怖くて、話すことが出来んった。
記憶にない後輩の男に、恋人同士だったと言われても受け入れて貰えないかもしれないと思ったから。
無邪気に笑う謙也さんは、俺の事をほんまに仲の良い後輩やと思ってくれとるみたいやった。
せやから、その事実を告げてしまったら、謙也さんはもう俺に笑いかけてくれない気がしたんや。
謙也さんの恋人でなくなって、もしこうして話す事すらできなくなったら…


「財前…?」

「謙也さん、帰ってきたら、一緒にテニスしましょ。そんでゲーセン行って、レコ屋行って…」

「おん、約束する…財前と行ったとこ、全部連れてって」



せめてあんたの、傍に居させて。

To be continued…