優しい音を立てながら揺れる柳、その垂れた葉の中であの人はいつも俺を待っている。
そして俺を見つけると、あの人は輝くように笑うんや。











久方ぶりの帰省やった。
軍に入り、家を出て1年。
俺はその殆どを軍の訓練施設の寮で過ごしとる。
手紙に書いた正午より少し遅れて辿り着いた故郷。
家の者に顔だけみせて挨拶もそこそこに再び家を出る。
向かう先は決まっとる。
もう何度も逢瀬を重ねたあの場所で今日もあの人が待っとるから。


垂れ柳の葉の狭間からちらちら見える黄色い頭。
二十歳も既に越えた男が同じ場所を行ったり来たりしとる姿は端からみたら怪しいかもしれんけど、それが可愛らしく見えるから不思議や。
俺の姿を見付けるとぱっと輝くその顔も。


「おかえり光!お務めご苦労さん」

「ただいま、謙也さん」

ぎゅっと抱き締めてくる謙也さんの背中に俺も腕を回し抱き返す。
数ヵ月ぶりの温もりを身体で感じなから暫く抱き合って、どちらからともなく身体を離して互いの顔を見つめると、彼はまた笑った。




「集団生活なんほんま性に合わんすわ…訓練もしんどいし」

何度目になるやろか、帰省する度にそんな愚痴をこぼす俺を彼は優しげな瞳で見詰める。

「そんなん言うてもちゃんと上手くやれてんねやろ?白石から聞いとるで」

ああもう、あの上官はほんまにどんなことこの人に吹き込んでんのや。
親友やからってなんでもかんでも話しよって。
これ以上余計なこと突っ込まれる前に、話題を変えることにする。

「そんなことより謙也さん、久々やねんから口付けくらいさせてくれてもええんちゃいます?」

そう言うと、謙也さんは直ぐに顔を赤くして目を伏せた。

「お、おん……」

もう何度もやっとることやのに、いまだにこんなに照れてくれるんやから可愛らしいお人や。
恥ずかしそうに頷くとそっと目を閉じる。
俺も目を閉じてその唇に口付ければ、ぴくっと唇が震えて薄く開かれた。

「ん、ふぅ……っ、んんっ、ん……っ」

舌を絡めてやれば、謙也さんはくぐもった声をあげながら俺に応えるように自ら舌を絡めてくる。

「ん……ちゅっ、はぁ……っ」

「んっ、謙也さん……」

すっかり足の力が抜けたようで、落ちかけた腰を支えたる。

「はぁ……あかん……っ」

「大丈夫っすか?」

「……大丈夫やない…………ひかる……っ」

赤く染まった頬に潤んだ目で見つめられると、俺も我慢がきかんくなる。
真っ昼間やっちゅうのに。
俺の服の裾をぎゅっと掴んで、謙也さんは蚊の鳴くような声で呟いた。

「光……離れ行こうや……」

「……相変わらずいらちっすね」

「やって……」

「ま、俺も同じっすわ」

久々に感じた謙也さんの感触や。
昂った熱はこのまま引いてはくれそうにない。

いつものように向かった先は謙也さんの家の離れ。
めったに使うことはないから、家人もあまりこないらしいここを俺らは情事の度にこっそり利用していたりする。

「ひかる……ん……っ」

布団に横たわり、着物をはだけさせ露出した肌に吸い寄せられるように口付ける。
散らした赤い痕は謙也さんの白い肌によく映えた。

「はぁ……っ、あっ」

その痕を指先でなぞればそれだけで謙也さんは熱っぽく声を漏らした。

「光…………」

うっとりと蕩けるような表情は、男やのに堪らなく艶かしくて官能的や。
袴も脱ぎ捨てて長い足が露になる。
その中心で、それはもう期待するように芯をもって震えとった。

「久々やから、辛いかもしれんすね……」

「そ、れは……大丈夫やで……」

謙也さんは顔を真っ赤に染めてそう言った。
それはどういう大丈夫やねん。

「え、浮気っすか」

「んなわけあるか!阿呆!!」

冗談混じりに言うたったらさっきまでの恥じらいと艶やかさはどこへやら。
割りと勢いよく頭をひっぱたかれた。
あ、これ言うたらあかんやつやった。

「すみません、冗談です」

「…………」

ああ、ちょお怒らせてもた。
けど拗ねたように口を尖らせて、俺を睨むその姿はやっぱり可愛らしい。

「わかってます、あんたが俺をほんまに好いてくれとること」

「わかってんなら言うなや…………」

「ごめんなさい……けど大丈夫てどういう……?」

聞くとさっきまでの不機嫌そうな顔から一変、顔をまた赤く染めて俯いた。

「準備……しててん」

「準備?」

「手紙もろて、帰ってくるいうからその……」

つまり俺との交合いに備えて自分で?あかんだいぶ嬉しいわこれ。

「見せて」

「ん…………」

「ほんまや」

指が難なく埋まってく。
ほんまに準備しとってくれたんや。

「は、はしたないて、思われるかもって思ったんやけど……っ」

「何言うとるん。嬉しいです」

言いながら、謙也さんのイイところを探る。

「んぁっ!あっ、ひぅっ」

「めっちゃかわええ、謙也さん」

「んぅっ、はっ、あっ、んんっ」

謙也さんの中は柔らかくて、久々やのに直ぐに俺の指に馴染んでいく。
俺と繋がるためにしてくれてたんやって考えたら、めっちゃ嬉しい。

「んっ、光っ…………はよ……っ」

「でも、もうちょい」

「ええから…っ、はよ…っ…も、我慢、できひん…っ」

「しゃあないっすね」

謙也さんの中から指を抜いて、自分のものをあてがうと謙也さんは目を閉じて深く息を吐いた。
それを合図に、謙也さんの中に挿入する。

「んんっ、ふぅ……っ、んっ」

小さく声を漏らしながら、謙也さんは俺を受け入れていく。

「ん、はぁ…っ、光……っ」

「謙也さん…っ、大丈夫?」

「ふぁっ、だい、じょぶ…や……っ」

熱っぽく潤んだ瞳が俺を映す。
いくら準備してた言うても、久々の行為は確実に身体に負担を掛けとるはずや。
それでも謙也さんはこうして、俺を求めてくれる。
ほんま愛しいなぁ。
こんなに俺を愛してくれて、こんな生意気な俺を受け入れてくれる。
この人の事がほんまに、愛しい。

「謙也さん、好きです」

「っ、んんっ!あっ」

耳元で囁いたら、謙也さんはびくんと身体を揺らして俺のを締め付けてきた。
顔を真っ赤にして、口の中でもごもごと何か呟いとる。
耳を寄せれば小さな声が耳に届く。

「お、れも…っ、好きっ、やで…っ」

「可愛え」

「ひかっ、あぅっ、ん…っ、ぁ…っ!光っ」

謙也さんの熱と、俺の熱が混じって、どっちのもんかもわからんくなって。
会えなかった時間を埋めるみたいに、俺らは互いを求めあって互いの熱に溺れるように抱き合った。





行為を終えて処理を済ませて、事後に少し抱き合いながら話をして
夕刻も近づいてきた頃、俺らは謙也さんの家を出て街を歩き始める。
行き付けの甘味屋へぜんざい食い行こうと、買い物しながら歩いとる間に見知った顔を見掛けた。
向こうも俺らに気付き爽やかに手を振っとる。

「財前、さっそく謙也んとこ居ったんか。謙也も久々やなぁ」

「白石、久しぶりやな!」

学生時代からの先輩で、俺の所属する軍の上司の白石上官は謙也さんとも旧知の仲や。
謙也さんと白石上官は学生時代からの親友で、俺と同じくこの二人も久々の再会。
普段見る上司の顔の上官と違い、謙也さんの前ではすっかり対等な友人相手の顔になってじゃれあっとる。
仲良さげに肩を組む姿に嫉妬した時期もあったけど、今となっては懐かしい思い出や。
………………や、まだするけど。

「……ちょおくっつきすぎちゃいます?」

「なんややきもちか財前?かわええやっちゃなぁ」

「別に…………」

「拗ねんなやーちゃんと家には顔出したんか?」

「出してます」

「俺との約束やもんな」

すかさず謙也さんがそう言って笑い掛ける。
帰ったら最初に両親に顔見せたれっちゅうんは入隊したあと初めの帰省の時謙也さんと交わした約束。
ほんまは真っ先に会い行きたいねんけど、そうせぇ言うて聞かんから。

「そーか、偉いな財前」

言いながら、上官は俺の頭を撫でる。
普段は上司と部下で、どんな時でも他の連中と同じく厳しく扱う人やけど。
公務を外れたらすっかり旧知の先輩の顔、というよりこれはもはや母親の顔や。
俺ももう二十やねんけどな……。

「上官……いつまで子供扱いするんすか」

歳かて一個しか違わんねんで。

「子供扱いなんしてへんて、後輩かわええだけやでー」

なんやかんやと絡まれたあと、上官は俺らに手を振って去っていった。

「今のあの人んこと他の連中が見たら何て言うやろ……顔緩みまくりや」

「なぁ、ほんまにあいつ鬼上官とか言われとるん?信じられん」

「めっちゃ呼ばれてますよ」

「話聞かせてやー」

「ほなそろそろ甘味屋でも行きましょ。はよぜんざい食いたいっすわぁ」

「ほんまにぜんざい好きやなぁ」

謙也さんと過ごす時間はあっという間に過ぎて行く。
短い間の帰省の最終日。
正午にはここを発たなあかんけど、俺は今日も謙也さんとの待ち合わせ場所にきた。

「光」

「おはようございます、謙也さん」

謙也さんは少し力のない笑顔を俺に向ける。
本人はいつも通りのつもりやろけど、バレバレや。

「身体気を付けてな……元気でな。手紙、出すから」

「はい。謙也さんも、元気で」

「ん……また帰って来るときもここで待っとるからな!」

「待ってて、くれますか?」

「当たり前やん!待っとるよ!ちゃあんと待っとる……待っとるからな……」

「はい。行ってきます」

「いってらっしゃい」

謙也さんに背を向けて歩き出した。
また暫くあの笑顔ともお別れや。



帰省から数ヶ月。
謙也さんからは月一くらいの頻度で手紙が届く。
内容は他愛のない世間話や近況報告や。
あの人も町医者として忙しい身やのに、律儀やなと思いつつ俺も同じように手紙を出しとる。

「財前、手紙やで」

「おおきに」

「なぁ、自分よお手紙だしてるけど相手誰なん?家族?」

同僚が持ってきた手紙を手渡して、興味津津といった顔で聞いてくる。

「…………恋人」

「はぁ!?恋人居ったん!?」

こんなとこじゃ娯楽も出会いもないし、話題もなくて暇なんやろか。
人の恋路やっちゅうのに面倒なくらい食いつかれた。
喚く同僚を適当にあしらって筆をとる。
けど、“謙也さんへ”そう綴ったところで手を止めた。
慌ただしく掛けられた号令はずいぶんと緊迫したもんやった。

「集合命令?」

「なんやろ……?」

同僚と顔を見合わせて首をかしげる。
集合してみると皆その理由は知らんらしく困惑しとった。
そんな中、やたら深刻な表情で現れた白石上官は少し躊躇うように視線を泳がすと、深刻な顔で俺らを見据えて重々しく口を開いた。

「今、本営から連絡があった。召集命令や、これからお前たちも前戦に出る。お国のために軍人としての誇りをもって戦うように」

「召集命令……」

「一週間後には戦地に発つ。戦線に参加する前に、2日間の帰省を許可されとる。各自家族との時間を…………」

上官の説明をどこか他人事のように聞く。
実戦への参加やなんて、いつか来ることやと思ってたし覚悟もしとった。
そのための訓練をしてたんや。
けど、今の戦況は決して良いとは言えへん。
まだ訓練課程の途中である俺らが訓練期間を終える前に召集されるなんてよっぽどのことや。
それは、それだけ戦地の兵が足りんちゅうことで、いつ死んでもおかしくないっちゅうことで。
二度とあの人のところへ、帰ることが出来ないかもしれんということ。
正直実感がわかないまま、再び筆をとる。
そして俺はいつもよりずっと簡潔な手紙を書いた。
内容は急に帰省できることになったことと、大事な話があるということ。


手紙に綴った通りの三日後、俺は故郷に向かっていた。
こんなにも沈んだ気持ちで故郷の土を踏む日は初めてやった。
早い時間に到着し、いつもの場所へ向かう。
謙也さんに会える、いつもなら嬉しくて仕方ないはずやのに、こんなに会うのが辛かったことはない。

「光っ!おかえり」

「……ただいま、謙也さん」

いつもより早い時間やった。
早く着きすぎたと思ったのに、いつものようにいつもの場所で謙也さんは待っとってくれた。
ずっと、ずっとそうやったんや。今更ながらそれに気付く。
この人はいつだって俺んこと待っとってくれた。
でも、それももう終わりや。
これ以上待たせたらあかん。そう思った。




「急に帰省できるなん珍しいなぁ。でもめっちゃ嬉しいわ」

そう言って、謙也さんが嬉しそうにぎゅっと抱き付いてくる。
そんな謙也さんの唇に、俺は軽く触れるだけの口付けをした。

「光……?」

いつもならもっと深い口付けを交わすけど、今はほんまに一瞬触れただけやった。
あまり深く触れ合うと、もっと触れたくなってまいそうやったから。

「謙也さん、甘味屋いきましょ」

「……甘味屋?ふふっ、光はほんまに甘いん好きやなぁ」

「…………ん、好きです」

「光?」

「ほな行きましょ。あんま時間ないし、今日行きたいとこ、ぎょうさんあるんすわ」

最後かもしれん、謙也さんと過ごす時間を今はただ楽しみたい。
謙也さんに別れを告げる前に。



生まれ育った故郷を一通り巡って、最後にもう一つだけ行きたい場所があることを伝える。
そこは、あの木の下や。

「行きたい場所ってここ?朝もきたんに、なんでここなん?」

「大事な話ある言いましたやろ?言うならここしかない思って。俺らの、始まりの場所やから」

覚悟を決めて振り返る。
謙也さんに初めて恋情を打ち明けたこの場所で、俺は伝えなあかん。

「召集命令がきたんすわ、やから……」

「それって……」

謙也さんはすぐに意味を理解したらしく、驚いたように目を見開いたまま黙り込んだ。
戦争に召集された。
これからは今までみたいな訓練ではなく兵士として戦場で戦うっちゅうことで、それはつまり死にに行くようなもの。

「謙也さん、俺たぶんもう…ここには…帰れへんと思うんです」

「な、何言うて…っ!」

黙り込んどった謙也さんが弾かれたように顔を上げてそう叫ぶ。
謙也さんの手が俺の肩に置かれて、痛いほど握り締められた。
その手が震えてるんがわかる。
謙也さんの顔から目をそらさんように、真っ直ぐ見据えると、その目には涙がいっぱいに溜まっとった。
胸が締め付けられたような気がした。
言わな。はよ、言わないと。

「俺にもしものことがあったらそん時は」

もしも、俺がこの世から居なくなったら。
はっきりとは言わんかったけど、きっと謙也さんは理解したんや。

「止めや!そんな話っ!」

「もしも、もしもの話です」

「例え話でもそんなん…っ、聞きたない!」

「謙也さん」

「嫌や!そんな遺言みたいなん聞かん!」

謙也さんの言う通り、これは遺言や。
もしも、なんて言うたけど、生きて帰れる可能性の方が圧倒的に低い。

「でも」

「今までやって、待っててって言うてくれたやんか!」

「せやけど俺……もう帰れるか」

「嫌や!聞きたない!」

謙也さんは耳を押さえながら蹲る。
それは初めての、謙也さんからの拒絶やった。
今までここで伝えたどんな言葉も、この人は受け入れてくれた。
俺の気持ちを打ち明けて、交際を申し込んだ時も。
初めて身体を重ねた日も、彼はいつだって俺の言葉を受け入れてくれた。
せやのに、今の謙也さんは俺の言葉を聞きたくないと全身で拒絶しとる。

「謙也さん…………」

「聞きたない…………っ」

最後の一言は、絞り出すような苦しげな声で。
俺は、これ以上謙也さんにその言葉を突き付けることはできんかった。


何も言えないまま、離れに移動する。
ほんまは帰らなあかんかったけど、それもできんかった。
こんな謙也さんを置いて帰れん、ちゅうんは建前でほんまは俺が謙也さんと一緒にいたかった。
一言も発さず俯いたままの謙也さんと二人きり、静かな離れの一室で刻々と時間だけが過ぎていく。
結局別れの言葉も言えんかった。
何を言おうとしたわけでもないけど、沈黙に堪えかねて声を出した。

「謙也さ」

「光……抱いて、くれへんか…………」

俺の言葉を遮った謙也さんの声に思わず顔をあげる。

「次会えるときまで光の熱、忘れんくらい……」

そう言って、彼は泣きそうな顔で笑った。

「謙也さん……っ」

言葉が出んかった。
俺はただ、謙也さんを抱き締めることしかできなかった。
何度達したかもうわからんくらい抱き合って、いつの間にか眠っとった。



夜中、隣で何かが動く気配で目が覚めた。
ほんの僅かな空気の動きでも目を覚ませるくらいに俺の身体は軍人としての神経を備えていた。
それは敵の奇襲に備えるために身に付けたもんやけど、今はそんなもんあるはずがない。
今隣に居るんは、たった一人。


俺を起こさんように静かに布団から出た謙也さんは、裸の体に着物を軽く羽織って廊下に出た。
視線だけでその姿を追うと、謙也さんは縁側に静かに腰を下ろして俯いた。

「………ぅ……っ」

月明かりに照らされた謙也さんの肩も必死に殺そうとする声も震えとった。
その肩を抱き締めたいと思った。
連れて逃げてしまいたいとも。
けど、その選択肢は選べんかった。
どれくらいそうしていただろうか。
暫くして、再び布団に戻ってきた謙也さんは何かに耐えるように身体を丸めて縮こまり、泣き疲れたんかすぐに寝息をたてはじめた
俺は、その身体を黙って抱き締めることしかできんかった。


夜明け前に謙也さんの家を出て自分の家に帰り、発つ準備を進める。
お別れを言うべきか迷ったけどやっぱり言えんくて、黙って出てきた。




「いって参ります」

両親にそう挨拶をして家を出る。
この家を出るんも、最後かもしれへん。
世話になったなぁ、なんて殊勝なことを考えて、らしくないなと苦笑した。
少しだけ町を見て回る。
生まれ育った町はいつも通りの景色なのに、空気だけが妙に寂しい。
自然と足が向いた先は、いつも謙也さんと会うあの場所やった。
柳の木は今日も静かに、たおやかに揺れとった。

「光っ」

突然名を呼ばれて振り返れば泣き腫らしたような目をした謙也さんがそこにいた。
ああ、また泣いてもうたんやな。
痛々しく赤くなってしもうとる目尻に手を伸ばすと、謙也さんは俺の手に自分の手を重ねて俺を見つめた。

「謙也さん…………行ってきます」

少し悩んで、俺はそう言った。
ほんまは、言うべき言葉ではないかもしれん。
やって帰ってこられんかもしれんから。
ちゃんと別れるべきやったのかもしれん。
さよならを言って、帰ってくるかもわからん俺をもう待たんでもええように。
でも、やっぱ誓いたい。
行って、帰ってきますって。

「ん、いってらっしゃい…っ」

謙也さんは、震える声でそう言って泣きそうな顔で笑って、俺を見送ってくれた。




本営に戻って間もなく、俺らは戦地へと送られた。
初めはあまり戦火の激しくない地区への配置やった。
経験のない俺らは、まだ実戦では戦力外やったから。
経験のある隊の補佐として戦場に身を置くこととなった。
それでも戦闘はあったし、厳しい環境に耐えられず倒れ離脱する者がいた。
そんな中を生き抜いては次の戦地へと移り、戦火の中に身をおいていつくるかわからない敵に神経をすり減らす日々を過ごす。
そうして一人、また一人と仲間を失っていった。


「次は、今までとは規模のちゃう激戦地や……」

「…………」

次の戦地に向かう船の中、上官は神妙な顔でそう言った。
既に先にいた中で3つの小隊が全滅、残りの部隊もだいぶ人数を減らしたっちゅう話や。
そこに俺らの隊も応援に召集された。
今までだって何度も、もうだめかもしれへんと思った。
それでも、今まで生きてこられたんはあくまでも俺らが補佐でいられたからや。
けど今回は違う。
経験の浅い俺らですら、戦闘要員として駆り出される。
それだけ不利な状況ってことや。

「上官、俺にもしもの事があったら……謙也さんに」

「財前っ!止めや、そういうん。言霊っちゅうもんもあるんやから」

「せやけど、それを覚悟で俺らは戦地に行くんやろ……」

「それは……っ」

何かを言いかけて、彼は苦しげに顔を歪めた。

「やから、そん時は俺を忘れて、幸せに生きてくださいって、そう伝えてください」

あの時、謙也さんに伝えられなかった言葉や。
実際のところ、俺はおろかこの人やって生きて帰れるかわからん。
けど、託すならもう彼しかいない。
少なくともこの人だけは俺より先には死なん、死なせんから。

「財前、俺は…………ほんまはこんなこと言うたらあかんてわかっとる。上官として、部下のお前にお国の為に命を掛けろて言わなあかんて……けど」

「上官…………」

「今は、今だけはお前の、旧友で居させてくれ。今から言うことは上官命令やない、俺のほんまの願いや」

「…………」

「頼むから、謙也を一人にせんといて……生きて、謙也と幸せに暮らして欲しい」

「…………こんなん人に聞かれたらただじゃすまんっちゅう話っすよ、白石先輩」

「財前………」

懐かしい呼び方、まだ上司と部下になる前の呼び方や。
齢十二でこの人らに出会って、俺は謙也さんと恋に落ちた。
その頃から一番近くで俺らの事を見守っててくれたんが、白石先輩やった。
同性同士の恋情やなんて、すぐには受け入れられんかったやろう。
しかも片方は自分の親友。
大事な親友に手を出した俺は、先輩に疎まれてもおかしくなかった。
けど、先輩は一度だけ真剣な目で見据え俺の想いを確かめて、それから笑った。
謙也を幸せにしたってな、て……そう言うてくれた。
軍に入って、昔から優秀やった先輩は上司という立場になって、常に軍人として自分に厳しくあろうとした。
下の者から鬼と言われるようになって、辛い訓練や戦いで心をすり減らしても、今日まで決して部下に弱味を見せんかった。
どんなときでも軍人として、完璧であり続けようとしとった。
そんなこの人がこんなところで軍人の立場であることを捨てて、こんな話をするなんて思わんかった。

「すまん……こんな話…………」

「いえ、なんや安心してまいました」

「安心て……」

「出会った時のままやなって」

「そないなこと……散々人を殺めたし仲間も犠牲にした……ちっとも昔のままちゃうよ」

「それは、この軍隊に身を置いた以上しゃあないっすわ。それが俺らの生き方やし」

「…………せやな」

「でも先輩の心根は昔のままっすわ。優しゅうて強ぉて……俺白石上官の下で働けること、誇りに思います」

「財前……?」

なんやろ、普段こんなん絶対言わへんのやけどな。
今日はなんや、言うとかなあかん気がする。

「あんたは、謙也さんとは別の意味で大切な人やから。あんたの背中は俺が守ったりますわ」

我ながら恥ずかしいことを言っとるなと思うけど、ほんまの気持ちや。
俺がこの戦場で守りたいもんは国の名誉でも軍人としての誇りでもなく、この人の背中だけ。

「ははっ、珍しいやんお前がそんなこと言うん…………けど、おおきに」

彼は優しく笑って、故郷に居る時と同じ顔で俺の頭を撫でた。



翌日からはまた戦地へと進軍し戦闘や野宿を重ねた。
数日も経つと、兵士たちの疲弊も目立ち始める。
厳しい環境、溜まった疲労、極度の緊張感の中、精神的にも体力的にも限界に近い者が現れるのは必然やった。

「おい、大丈夫か?」

足をふらつかせ転んだ一人の兵に、上官は気をとられた。
普段は厳しい上司として振る舞っとるけど、心根の優しい人や。放っておけへんのやろ。
普段の上官ならきっと些細な異常にも気付ける。
けど今は、本来周りに向けとる注意力が散漫しとる。
こんなときは俺が上官の背中を守る。そう自分の中で決めとった。

「立てるか?」

「はい……すみません……」

「いや、ええよ。別隊と合流したら少し休めるから、もうちょい頑張り」

やから、見つけた。
木の間から鈍く光る白石上官に向けた銃口を。
あかんて思った時には身体が動いとった。

「上官っ!」

「財前!?」

銃声のあと、背中に衝撃を受けて喉の奥から口に鉄の味が広がる。
何か喋ろうとしたけど、声の代わりに口から出たんは真っ赤な血やった。
倒れかけた身体を上官が支えてくれたけど、立ってられへんくて膝をつく。

「っ!後ろや!全員退避!」

上官が何かを後方に投げると、凄まじい爆音が響く。

「体勢を崩すな!じき援軍が来る!応戦のみ!逃げるもんは深追いするな!持ちこたえろっ!全員っ、生きるんや!」

兵士達に指令を飛ばす声が聞いたことない程震えとる。
ああ、泣いてもうて……あんた鬼上官やろ……示しつかんでそれじゃ。
なんて、いつもみたいに言ったりたいけど声にならへん。

「財前っ!財前立てるか!?衛生兵はどこや!はよ処置をっ!」

「あ……ぅ……ごほっ、し……ら……ごほっ」

上官に肩を借りても足が全く動かん。
こんなんじゃ足手纏いや。
この場で捨ててってくれてええのに。

「待ってろ!今血ぃ止めたるから!」

「も……ええ、です……っ」

手当てしたって無駄や。
そんなん見てわからんほどアホとちゃうやろ。
頭んなかではいつも通りに言葉が浮かぶんにな。
目ぇ霞んでもう、まともに上官の顔も見えんわ。

「アホ抜かせ!謙也が待っとるんやろ!ちゃんと帰らな、あいつ待つん苦手なんや……っ、な……?帰ろうな……はよ帰って、謙也と…っ」

「あぁ、せや…た………あんひと、ほんま…は…………」

いらちで、ほんまは待つんなんちっとも平気やないくせに笑って、平気や待ってる言うて。
俺が発つ時いつもこっそり泣きそうな顔してんの知っとった。
俺に隠れて泣いとったことも知っとった。
俺が二度と帰らんなんて知ったらあの人どうするんやろ。
きっと、また泣かせてまう。
また、ひとりで……

「ごほっ!ぐっ……はぁ、はっ、はよ、かえ…っ」

「あんま喋ったらあかん!衛生兵!はよ!」

「上官……この出血では、もうどうにも……」

「なに言うてんねん!助かるやろ!?なぁ!!」

なんややいやい言うとるけど、自分の命がもう長くないことくらいわかっとる。
約束したんに、行ってきますって。
そう言ってきたんや、あの人に。

「かえ…らな……」

「財前……?」

「けん、やさ……とこに………はよ………っ!」

「財前っ!」

また咳き込んで、血を吐いた。
目ももう殆ど見えへん。
上官の声も遠く聞こえる。
たぶんもう、俺死ぬんやな。
約束、破ってもうてごめんな、謙也さん。
いつも待ち合わせする、柳の木の下。
あの木の下で、謙也さんが待っとる。


夢やろか、見えんくなった筈の俺の目には見慣れたあの柳の木が映っとって、その下にはあの人が居るんが見える。
いつものようにあの場所で、俺の事待っとるんや。

「けん、や、さん……」

「死ぬな財前っ!財前…っ!!」



命が尽きる刹那、あの人の声を聞いた気がした。


2015/01/02