ついていない日というのはとことんついてないもんで。
今日、初っぱなから俺は運に見放されとった。
ピピピピピピピッと耳元で鳴るけたたましい音に目を覚ますと、枕元の携帯は俺を起こそうとスヌーズ機能を駆使して何度目かのアラーム音を鳴らしとる。
それを手にとって時間を確認し、俺は滅多に出さない素っ頓狂な声を出した。
「はあっ!?」
デジタルで表示された時間は本来家を出るべき時間直前で、俺は盛大に布団をはね除け飛び起きる。
あかん、アラーム設定リセットして時間設定間違えとったんや。
朝飯食ってる時間もなく携帯鞄に押し込んで慌てて部屋を出て、リビングへ。
毎朝見ているテレビ番組の占いが今日の最下位を映した時が俺がいつも家を出るタイミングで、今まさにそれが画面に映し出されとった。
『今日の最下位は、“蟹座”のあなた!そんなあなたの今日のラッキーアイテムは』
テレビから流れる声をBGMのように聞きながら洗面所に飛び込み顔洗って歯磨いて髪を軽くとかして着替えて部屋を飛び出し玄関に走った。
後ろからおかんの「ご飯は?」て声が聞こえたけどそんな時間もなく「すまん時間ない」とだけ叫んで靴を履いて走り出す。
……いろんなもんを家に残したまま。
部長には携帯に連絡を入れて学校へ向かう。
いつもより遅れて辿り着いた誰もおらん部室に駆け込みユニフォームに着替えてコートに出ると先輩らはにやにやしながら俺に視線を向けた。
「おー、お疲れさん、財前」
肩を叩く部長の後ろからラブルスが顔を出す。
珍しいもん見たとでも言いたげなにやついた二人の表情ほんま腹立つ。
「ほんますみません部長……」
「まーこんな日もあるやろ。まだアップ始めたとこやからとりあえず10周な、走ってきぃや」
「はい」
いつものランニングに罰走10周追加で貰ってコートからでようとするとラブルスは俺についてきて絡み出す。
ほんまうざい。
「やーん光ぅセットして来んかったん?髪ふわふわやないのー」
「財前。ダサいっすわ〜」
「もーユウくんなんてこと言うの!可愛えやないのー、ロックオーン」
「浮気か小春うううううう!」
俺の声真似までしてからかうユウジ先輩を小春先輩が嗜めてモーホーコントを始めたんを無視してさっさと歩き。
「先輩らキモイッスワー」
いつものように先輩らをあしらって外周を走り出す。
「財前は追加10周やったと?」
その最中、いつの間にか隣に並んで走っとった千歳先輩に話し掛けられた。
つか来てたんやこの人、朝からおるなん珍しいな。
そう思いながら先輩の質問に答える。
「10周ですけど」
「俺はその五倍たい。白石俺には厳しか〜……」
「自業自得っすわ。先輩朝練自体1週間ぶりやろ」
「財前も厳しかね〜」
笑いながらそう言う先輩をまた無視して外周回ってノルマ達成して抜ける。
先輩はまだ走ってたから置いてきた。
五倍ってことは50周や、当分終わりそうにない。
その前にどっかふらっと行ってまうような気もしなくもないけどまあ放っとこ。
漸くランニングを終えて本来のアップに入った俺に背後から声がかかる。
「おはよ、財前」
「おはようございます」
先にアップ終えとった謙也さんがトコトコやってきて微笑んだ。
「柔軟まだやろ?背中押したるわ」
「あ、どうも」
背中押して貰って柔軟して立ち上がっても謙也さんはまだなんかへらへらしとる。なんやねん。
「なんすか」
「やー財前の髪今日はふわふわやなって。ワックス付けてないん?」
「んな時間なかったんすわ……」
「触ってええ?」
「なんでやねん意味わからん」
「ええやん〜触らしてや」
「謙也さんキモイッスワー」
なんてことやってたら部長から集合がかかる。
「ほらほら練習始めんで。つか千歳どこ行った!あんのもじゃもじゃ久々に来た思ったらほんまええ加減にせぇよ!千歳ええええええ!!」
案の定外周走っとった千歳先輩はいつの間にか消えとった。
おおかた猫でも見付けてふらふらついてったんやろ。
しばし先輩を捜索して、思った通り野良猫と戯れてたらしい千歳先輩を部長が連れ戻し練習が始まった。
けど……
「っ!」
「どんまい!次取ろ!」
しょーもない凡ミス。これで3度目や。
「すみません……俺のミスで」
「そんな顔すんなや、調子乗らん日もあるやろ」
結局、試合形式のダブルス練習はボロ負けに終わった。
殆どが俺のせいと言っても過言やないくらいに初歩的なミスの連発。
「すみません……」
「ずいぶんしおらしいやん、なにらしくないこと言っとんねん。ダブルスは二人でするもんやろ。お前だけのせいちゃうわ」
幼子をあやすみたいに頭をくしゃっと撫でられた。
うっといとかキモいとか言いたいところやけど、その言葉と手があんまり優しいからなんも言えへんかった。
「ふはっ、やっぱさらさらやん」
「ちょっ、どさくさに紛れてなにしとんすか」
「えーやん。財前の髪はつやつやで綺麗やなぁ〜」
寝坊と調子の出なかった朝練で少し気分は落ちとったけど、俺の髪で遊びながらアホみたいに笑う謙也さんの顔見とったらちょっと気分はマシになった気がする。
けど、それも束の間。
朝飯食わんと飛び出したせいで腹減ってしゃあない。
朝練終わって空腹に耐えかねて、購買でパンでも買おうとして気付いた。財布がない。
記憶を辿れば休みやった昨日出掛ける時に別の鞄に移したんやった。
気は進まんけど誰かに借りるしか、そう思った瞬間。
「あっかーんっ!財布忘れたぁ!」
俺の心情を10倍くらいテンション高く代弁したかのような台詞が大声で響く。
教室を見渡せば、クラスメイトが頭を抱えてしゃがんどった。
「はー?ドジやなぁ、何で忘れんねん」
「しゃあないやろー昨日鞄別のんに移してて入れ忘れたんや……どないしよぉ……」
「もー……しゃあないなぁ。貸したるわ」
「ほんまか!?おおきに!助かったわ!」
「明日返してな〜。つか忘れもん多すぎやろ自分。ちょお気ぃつけぇや」
「ついうっかり忘れんねん」
呆れたような笑い声が上がる中、俺は1人自分の状況に困惑しとった。
まさか俺と同じように財布忘れた奴が他にも居るなんて。
そんなとき、不意に1人が俺に話題をふった。
「財前は忘れもんとかなさそうやんな?」
「は?えっ……」
「あーわかるわかる!しっかりしとるもんなぁ」
「や、まぁ……」
「やっぱせやんなぁ」
そうでもない、と続けようと曖昧に返してもうたら肯定と受け取られてもうた。
何でそんないらちやねん謙也さんやあるまいし!なんや、今更俺も忘れたとは言い出せん空気や。
聞こえんように溜め息を吐くと、俺は諦めて席に座った。
授業が始まっても腹が減っていまいち集中できひん。
パンの一枚でもくわえて出てくればよかった。
そんなことをぼんやり考えとったら後ろから肩をつつかれた。
「なん?」
「財前、当たっとるで」
ぼそりと小声で囁かれた言葉の意味を理解するんと、青筋立てて睨んどる古典担当のおっさん先生が俺を呼ぶんは同時だった。
「財前!授業中やで!ちゃんと聞いとき!」
「あ……すんません……」
「ちゃんと授業聞くんやで。問3の答え言ってみ」
問3って、なんやこれ誰の書いた詩かってんなもん知らんわ。
「あー…………紫式部?」
「なんでやねん!!」
検討違いの答えにおっさん先生が突っ込んだ。
そのまま別の奴に指名が移ったけど、ほんま今日はついてへんな。
けど、そのついてない日はまだ始まったばかりやったわけで。
3時限目の授業が終わりいじっとった携帯の画面に現れたウィンドウに思わず一音声をあげた。
「え」
普段通りに使っとった筈の携帯の画面に不意に映し出された“充電してください”の文字。
見れば電池残量は10%を切っとる。
朝まで充電しとったのになんで。
そう思い記憶を辿れば、自分の昨日の夜の行動が脳裏を過った。
コンセントを使う用事があって携帯の充電器のコードを一度抜いたあと、元に戻すことをすっかり忘れとったんや。
そしてそのまま繋がってない充電器に携帯を差し込んで充電中のランプも確認せんと就寝、当然充電はされず昨日1日使い倒した残量のまま持ってきた、とこういうことや。
朝はバタバタしとって全く気付かんかった。
この調子やともう昼までも持たへん。
はあっと深くため息を吐いて携帯をしまう、けど、弄るのを止めたところで電源落ちるんも時間の問題や。
案の定携帯は数時間と持たずに事切れた。
漸く4時限目の授業終了のチャイムが鳴る。
やっとこの空腹を治められる。
そう思ったのも束の間。
「あ……」
待ちに待った昼休み、俺は鞄を開けて固まった。
せや、今日弁当持ってきとらん。
購買か学食行こうにも財布もない。
教室で飯を食い始めるクラスメイト達の姿が見えて深くため息をついて教室をでる。
空腹のこの身に食いもんの匂いは拷問や。
昼飯を食わずに教室にいるんも微妙やったし携帯が使えんとネットも見られんから屋上でぼんやりしとったら謙也さんが来た。
「財前」
「謙也さん」
俺を見つけて、良かったーと安心したように呟くと問答無用で隣に座る。
「連絡したんやけど返事ないからどないしたんかと思ったわ」
「あー……充電切れてもて」
「そうやったんか。珍しいなぁ財前が充電切らすなんて」
「昨日コンセント抜いたん忘れて……」
「あー、充電できとらんかったんかー」
言いながら、持っていたビニール袋から何か取り出し差し出してくる。
「ほれ。やるわ」
「ぜんざい……?」
「新商品やって。財前好きやろな思ってつい買ってもた。渡せてよかったわ」
「……おおきに」
このまま午後の授業はキツすぎたから正直助かった。
カップを開けてぜんざいをすくい頬張ると、それを見て謙也さんは満足そうに笑いながら自分用に買ったらしい青汁のパックを取り出した。
その横顔を盗み見ながら貰ったぜんざいを口に運ぶ。
カップが空になったところで俺はつい深く溜め息をついた。
それに気づいた謙也さんがこっちに振り向いて顔を覗き込んでくる。
「どないしたん?」
この人はいつも鈍感なくせになんでこういうのは直ぐ気ぃついてまうんや。
「なんもないっすわ……」
納得できていないのか訝しげに見つめる謙也さんの視線から逃れるように目をそらした。
それから謙也さんはそれ以上追及はせんとイグアナがどーのペン回しがどーのと他愛ない話を振って一人で盛りあがっとった。
たぶん、絶対可愛げの1つもない反応しか返せてへんけど、それでも今謙也さんと一緒に昼休みを過ごせとる事は今日の落ちた気分を少しだけ向上させてくれた。
けど、それも束の間。
「最悪……」
放課後、薄暗い空から降り注ぐ雨。
なんや今日の俺の気分みたいに胸くそ悪いくらい暗くて湿っぽくてムカつく。
昼過ぎごろから急に湧いてきた雨雲は大粒の雨を降らせて只でさえ沈んだ気分に追い討ちをかけた。
この雨でコートは使えず、体育館も他の部が使っとって空きがないから今日の部活はお流れやと、2年の教室までやってきた部長から聞いた。
俺の携帯が使えんことを謙也さんから聞いたらしい。
帰ろうにも慌てて出てきた俺は当然傘なんか持っとらん。
今日はとことんついとらん日なんやろか。
はぁと今日何度目かも覚えとらん溜め息を吐く。
濡れて帰ったらおかんに怒られるかもなとか思ったけど、もうどうでもええわ。
「財前っ」
昇降口から雨の中に一歩踏み出そうとしたら、誰かに腕を捕まれた。
誰か、なんて顔見やんでも声でわかるけど。
「……謙也さん」
「何しとんねん、雨やで。濡れてまう」
「傘、忘れたんで濡れて帰りますわ」
「アホっ、風邪引くやろ。入って行きぃや」
自分の傘を持った手を前に出してそう言う謙也さん。
いつもの俺ならたぶん内心喜んだと思う。
好きな人にそう言うてもらえるなん嬉しいに決まっとる。
相合い傘なん、またとないチャンスや。
けど、今日はほんまに自分が惨めに思えてきて、謙也さんの手を振り払おうとした、そのとき。
俺らのやり取りに横やりを入れるような異音が響く。
その音の発生源は俺の腹部。
一気に顔に熱が集まる。
「―――っ!」
「………」
腹が、盛大に鳴った。
最悪っ!最悪や……ほんま最悪。格好悪い。
普段やったら、それをからかわれてもうざいだなんだで流せるやろけど、今日の俺にはそんな心の余裕はない。
絶対笑われる。
そう思って唇を引き結んで俯いたけど、謙也さんは笑うことはなく、黙ったまま俺の手を引いた。
「ちょっ、謙也さん」
「なーコンビニ寄ってええ?」
何事もなかったような笑顔でそう言って、疑問系の癖に俺の答えも待たずに歩き出す。
いらちにもほどがあるやろ!謙也さんは近くのコンビニに俺を引っ張っていき直ぐに戻る言うて俺に傘を持たせて中に入っていった。
ほんまなんやねん。
「お待たせお待たせ、行こか」
出てきた謙也さんの手にはコンビニ袋が握られとった。
このまま傘置いて帰ったろかと思ってたら無駄に早く用済ませてきよって……。
「行くって……どこいくねん」
「すぐそこやでー」
次に連れてかれた先は公園やった。
雨で遊んどる子供もおらん中、遊具のドームに潜り込んだ謙也さんは中からちょいちょいと手招きした。
しゃあなしに付き合って俺も中に入る。
狭っ苦しい遊具の中はドーム状の屋根が雨を遮って乾いとったから座ることができた。
謙也さんの隣に座ると、目の前に何か白い物体を差し出される。
「ん、あんまんでよかった?」
「え」
「奢りや。冷めんうちに食べよ?」
「…………どーも」
意地になって、いらんって言いたい気もしたけど、もう空腹も限界で大人しく受け取る。
そしたら謙也さんは微笑んで自分のを食べ始めた。
「あんまん久々に食うたわ。めっちゃ甘いなぁ」
それを見て、俺も一口齧ると、温かくて柔こい食感と餡の甘さが口一杯に広がった。
その瞬間、今日1日のモヤモヤや苛ついた気持ちが溶け出していく気がした。
「今日、ほんまあかんのですわ……」
堰を切ったように溜まっとった気持ちを吐き出すと、謙也さんは黙って視線を向けた。
「なんもかんもうまくいかんくて。寝坊して遅刻して、財布も弁当も傘も忘れて、携帯は充電出来てへんし腹鳴るし、俺ほんまダサい……っ」
「ダサいことないやろ」
「ダサいっすわ……」
「ダサないって」
「嘘や。謙也さんかてほんまはそう思っとるんちゃいます?いっつもダサいダサい先輩に言うておいてって、心ん中ではざまぁって笑ろてるんちゃいます?」
ああもう、ほんまに最悪。
こんなん言うつもりやなかったのに。
謙也さんがそんな人やないってよう知っとるはずなんに。
俺の言葉に、謙也さんは眉間に皺を寄せて明らかに不愉快そうな顔をしとる。
「そんなん思ってへんっ!」
怒らせて当然や。
心配してくれはったのに八つ当たりなんかして。
最低や……。
「好きな奴が落ち込んどったら心配するに決まっとるやろ!!」
絶望感に満ちて俯いとった俺の頭の上から落ちてきた思いがけない言葉に、一瞬肩を震わせて顔を上げる。
そこには顔を真っ赤にして、口元を押さえた謙也さんがいた。
「や、その、今の、ちゃうくて、や、ちゃうことないけどその……っ」
「謙也さん……?」
なんや様子のおかしい謙也さんを見て名前を呼ぶと、謙也さんは赤かった顔を青くして目を泳がせる。
なんなん、その反応。
まるで言ったらあかんこと言ったみたいな。
謙也さんの言う好きなんて、俺以外に対しても持ってる感情やろ。
チームメイトとして、後輩として好き。
そういう意味やないんか。
それとも、その意味を俺が勘違いしとるとでも思ったんか。
確かにあんなタイミングでいきなり好きなんて言うから驚いたけど、そんなん心配せんでもわかっとる。
「あ……その……っ、ざ、財前……っ」
「はい」
「い、いきなりすまん……けど、その……さっきの好き、は」
「はい……」
「本気、やから……」
「…………はい?」
間の抜けた声を上げた俺に代わって、今度は謙也さんの方が絶望的な顔しとる。
「その、ごめん……キモいんはわかっとるし、言うつもりもなかってんけど……俺お前のこと、好きやねん……っ」
なんか、俺の想像しとった答えとちゃう。
ていうかその気持ちはもしかして、俺と同じなんとちゃうやろか。
「忘れてくれて、ええから……その…出来れば、これからも今までどおりに……っ」
握り締めた拳と声を震わせて、謙也さんは俯いた。
忘れるなんて、そんなん
「そんなん、できひん」
「せ、せやんな……ごめん……キモいよな、俺……」
「俺も、謙也さんが好きやから」
謙也さんの言葉を遮るように言うと、勢いよく顔を上げた謙也さんと視線がかち合う。
「やから、忘れるなんてできひん……。謙也さん、好きです」
「え……?」
「意味、わかってますか?」
「せ、先輩として?」
この期に及んでなに言うとんねんこの人。
「謙也さんはさっきの言葉、そういう意味で言うたんすか……?」
「ちゃ、ちゃう、俺はその…恋愛の好きで」
「一緒っすわ、俺も」
「ほん、まに……っ?」
「はい」
謙也さんは目をぱちぱちと瞬かせて、その意味を確かめるように呟いた。
「財前が、俺を、好き……」
「はい」
状況を理解したんやろうか、謙也さんは途端に顔を綻ばせて幸せそうに笑った。
その顔を見とったら急に胸が高鳴って、その唇に釘付けになる。
このまま触れたい、そう思った。
「謙也さん……」
いらちやなんて、謙也さんのこと言えへんわ、がっつきすぎやろと自分に内心突っ込みを入れつつ、謙也さんの頬に手を添えた。
ぴくんて肩を揺らした謙也さんは意味を察したらしく忙しなく視線を泳がせる。
けど拒絶する気はないらしく、覚悟を決めたように目を閉じた。
謙也さんの唇に自分のそれを近付ける。
触れ合った唇は柔らかくて気持ちよくて、止まらなくて舌まで入れてもうた。
それでも謙也さんはまたビクッと肩を揺らしたけどすぐに身体の強張りを解いて俺の舌に自分のを絡めだす。
口の中がやけに甘くて、幸せやななんて思考まで甘ったるくなってくる。
唇を離すと、真っ赤な顔をした謙也さんの顔が目の前にあった。
たぶん俺も同じ顔しとる。
「あ、あんまんの味……した……」
何か言わなと思いながら何て言ったらいいかわからず黙っとったら、小さく呟いた謙也さんの言葉でああ、とさっきのキスの甘さに妙に納得してもうて思わず笑った。
その後はまた謙也さんの傘に入れてもらって家まで送ってもらった。
けどさっきまでとは距離も気持ちも全然ちゃうかった。
「おおきに、謙也さん、送ってもろてすみません」
「ええって。むしろいつもより長く一緒に居れたから……その……」
尻すぼみになっていく謙也さんの声は最後の方は蚊の鳴くような声になった。
嬉しい、と呟いたその声は小さくて、きっと例えそばを通る人があっても聞こえはせん。
最悪やと思った雨も今は傘の下で俺ら二人きりの空間を作るために降り続いとるように感じる。
家の玄関の前の軒下で謙也さんの傘から出て振り返る。
「あの、なんかまだ信じられへんのやけど……」
言いながら、謙也さんは空いとる手で俺の指先を遠慮がちにきゅっと握る。
そして唇にちゅっと軽いキスをした。
「ほ、ほなまた明日!」
脱兎の如く雨の中に消えてく謙也さんの背中を見送ってその場にしゃがみ込む。
なんやねんあの人、めっちゃ可愛え。
夢見心地のまま家に入りどこか浮わついた頭でいつものように就寝まで時間を過ごす。
けど、もう気持ちはいつもと違う。
夕飯を食っても風呂に入っても考えるんは謙也さんとのことばかり。
風呂から上がって携帯を確認すると、謙也さんから届いたラインのメッセージにはいつもの雑談の他に、今日の出来事に対する感謝や俺への想い、これから恋人としてよろしくという文章が綴られとった。
ほんまにこの人が今、俺の恋人やなんて、まだ信じられへん。
今日は朝から運勢最悪の日やったのに、この数時間の出来事は最高に幸せな時間やった。
そんなことを思っとったら、テレビから甲高いキャラクターの声が聞こえてきた。
それは今日一日の運勢を振り返る占いらしく、星座別に順位が発表されていく。
最後にでかでかと表示された俺の星座の順位は朝と同じ12位。
運勢最悪どころか最高やっちゅうねんなんて心中で叫びたい気持ちに駆られとったら。
「そんな“蟹座”のラッキーアイテムは“あんまん”でした!」
画面に映し出されたあんまんのイラストを指して、声高にキャラクターが叫ぶ。
それを見て、甘いファーストキスの味が蘇った気がした。
〜終〜
2016/04/24 up