女の子には優しくしなくちゃ、それが俺のモットーだから。
だから泣きそうな顔で嫌がる女の子が明らかにヤバそうな四人組の男に、人気のない路地裏に連れ込まれ掛けてるのなんか見ちゃったら放っておけなかった。
咄嗟にその後を追い掛けて行くと、入り組んだ路地の更に奥に連れ込まれるところだった。
「ちょっと待った!」
そう叫んで間に入ると、風貌からしていかにもチンピラみたいな集団がチンピラの常套句を口々に喚き散らしてる。
まいったな、ちょっと話が通じる相手に思えない。
そして一斉に喋るからもう何言ってるのか聞きとれない。
「お兄さんたち、こういうのは感心しないなぁ〜。女の子には優しくしなきゃ、ね?」
なんとか引き下がってくれないかなぁなんて、淡い期待を込めて言ったけどまあ聞き入れては貰えそうにない。
そう簡単にはいかないか。
このまま説得は難しいみたいだし、逃げた方が賢明かな。
とにかく女の子を先に逃がした方がよさそうだ。
「行きな、ここは俺に任せて」
小声でそう言うと、女の子は涙目で小さく頷いてその場を立ち去った。
これでとりあえずオッケー。
後は俺がどうやって逃げ出すかだ。
「てめぇ!ただで済むと思うなよ!」
「ですよねー……」
無我夢中だったから相手の人数に対するこっちの不利なんか考える余裕はなかった。
相手が一人ならこの場で走り出しても逃げ切る自信あるんだけどな。
囲まれてちゃそうもいかない。
どうにか隙を作らなくちゃ。
さっきの女の子が走っていった方向に向かって大袈裟に声をあげた。
「あっ、戻ってきちゃダメだよ!」
こう言えば確実に全員そっちに気を向けるはず。
思った通りに奴等が振り向いた隙をついて走り出した。
これならいける、そう思ったのも束の間のことで、怒鳴り声と共に後ろから何か重い物を投げられた。
「あっ!」
不意の衝撃に対応できなかった俺はそのままよろけて地面に転んだ。
背中に当たったのはどうやら奴等の持ってた鞄みたいで、痛みは当たった時だけだった。
けど、地面に膝をついた俺に奴等が追いつくのは当然すぐで、腕を掴まれてそのまま路地の奥に引き戻された。
相変わらず聞きとれない言葉で喚き散らされる。
なんか、さらに怒らせたっぽい。
乱暴に突き飛ばされて尻餅をつく。
反対側に逃げようと思ったけど、路地の奥は行き止まり。
完全に袋小路だ。
「………っ」
ちょっと、本格的にまずい、本当にどうしよう。
このままだと何されるかわからない。
もし殴られて骨折なんて事になってテニスが出来なくなったりしたら……。
最悪暴力事件沙汰なんてことになったら、部の皆にも迷惑掛けちゃうかもしれない。
上手いこと避けたら隙ができるかも、なんて考える俺に、男たちの一人が言った。
「邪魔しやがって!さっきの女の代わりにてめぇが相手してくれんのか?あ?」
「は?……え?」
「てめぇがあの女の代わりにヤらせてくれんのかっていってんだよ!」
連中の要求は俺の予想の斜め上だった。
あの子の代わりって、ヤらせるってなんだよ。
わかってる、その意味くらい。
でもどう見ても俺男なのに?
「はぁ?こいつ男じゃん?」
「男にも口も穴もあんじゃん?顔は悪くねぇししゃぶるくらいできんだろ」
「あー、それなら悪くねぇかもな」
「う、うそ…………っ」
冗談だと思いたいけど、話はどんどん俺を性欲の捌け口に使う方向で進んでく。
本気だとしたら洒落にならない。
尻餅をついた時の格好のまま後ずさる俺の襟首を掴みあげて男の股間の前にひざまづかされて、その手がファスナーにかかる。
頭を押さえ付けられたら、もう顔を背けることも出来ない。
「い、嫌……っ」
その時男たちの間をものすごい早さでなにかが横切った。
遅れて遠くで騒がしく何かがぶつかり転がる音がする。
振り返れなかったけどたぶん空き缶か何かだと思う。
「お。ラッキー、当たっちゃったよ」
「な、なにしやが」
「でも俺ノーコンだから、次は外すかもしれねぇなぁ?おにーさんたち、そこどいてた方がいいっすよ?」
そう言って口元だけ弧を描いたまま男たちを睨む彼の顔には見覚えがあった。
「桃、城…くん……?」
情けなく震えた声は俺の前に立つ男たちに阻まれて届いていないようで、彼はまだ怒鳴り散らしている男たちと対峙している。
「まぁ退いてくれなくてもいーっすけど。俺は一応忠告したんで。さっきのあれ、ちょっと肩慣らししただけなんで次のはマジでいきますよ」
真っ直ぐに路地の奥の壁に向かって構える彼は威圧を込めた瞳で奴等を睨む。
男たちは彼の威圧感に気付いたらしくそそくさと捨て台詞を残して立ち去っていった。
どこまでも漫画みたいな奴等だな、なんて他人事のように思った。
「大丈夫っすか?」
奴等が戻ってこないのを確認して、彼が振り返る。
そこで漸く助けた相手が誰なのか認識したらしく、彼は目を丸くした。
「え……?千石さん?」
「あ、あはは、こんな絶体絶命のピンチに君に助けられるなんて俺ってラッキー」
冗談めかしていつもの調子で言ったつもりだけど、明らかに声は震えていた。
立ち上がろうとする足も震えて力が入らない。
「ちょっ、本当に大丈夫っすか?怪我とかさせられたんじゃ」
「あ……平気平気……、ちょっと、腰抜けちゃって……っ」
支えられてなんとか立ち上がれたけど、身体の震えはまだ止まってない。
怪訝そうな顔をして覗き込んでくる桃城君に精一杯強がって言った。
「ほんと、ありがとね。もう大丈夫……」
「大丈夫じゃねーっすよ。顔真っ青じゃないっすか。ちょっとどっかで休みましょ」
「え、あ……」
桃城君に手を引かれて裏路地を出る。
薄暗い路地裏とはまるで別世界みたいに、夏の日差しが眩しい。
もし、彼が来てくれなかったら今頃俺は、あそこでどんな目に合わされていたんだろう。
その先を想像したら背筋がぞっとした。
思わず握られた手に力が入る。
それに気付いたらしく、桃城君は足を止めて振り返った。
「千石さん?」
「あ、メンゴっ、痛かった?」
「いや、それは全然平気っすけど。あ、ここ入りましょうよ」
適当に目にとまった喫茶店を指差して聞く桃城君に頷くと、彼は俺の手を握ったまま店内に入っていた。
席に案内されて漸く一息吐く。
炎天下の街中から打って変わって店内を満たす冷房の涼しさが、さっきまでの出来事からの解放を実感させる。
注文した飲み物と軽食が運ばれてきた頃にはさっきまでの出来事は夢だったんじゃないかとすら思えてきた。
あんな目に合ったこともだけど、間一髪のタイミングで現れた彼に助け出されるなんて奇跡的な展開も全部夢みたいだった。
「ところで、桃城君はなんであそこに?」
「ああ、そばを通りかかったら路地から喧嘩するみたいな声が聞こえたんすよ。
ヤバそうだったら警察呼ぶかと思ったらなんかそんな時間も無さそうだったんで。
つい一発ドカンと……カツアゲとかされてました?」
「あ……、うん……まぁ……」
何をされかけてたのかは気付かれてなかったみたいだけど、さすがに言えなくて誤魔化した。
「あ、そうだ。さっきのサーブ、フォームが凄く良くなってたね?」
「そーっすか?!」
前に試合した時よりずっと良くなってたし、コントロールも完璧だった。
パワーを武器にしている彼がコントロールまで物にしたら、きっとあの試合からもっともっと強くなってるんだろうな。
「俺と試合した時はまだまだ球筋も荒かったけど、だいぶ安定して打てるようになった。
さっきの、ノーコンとか言ってたけど外す気なんかなかったでしょ?」
「あ、やっぱバレてました?ああ言ったら脅かせるかなとは思ったっすけど。大人しく居なくなってくれてよかったっす」
「うん……ありがとね」
それからはテニスの話や他愛ない話で盛り上がった。
ふと気がつけば窓ガラスの向こうには金色に染まり始めた空が広がっていた。
「あ、もうだいぶ暗くなっちゃったね……そろそろ帰ろうか」
「あ、そーっすね。なんかまだ話したい気もするんスけど」
そう言って笑う彼を見て、このまま別れたらこれっきりになっちゃうのかなと思ったら妙に寂しくなった。
会計を済ませて店を出る。
「なんかすんません、奢ってもらっちゃって……」
「ううん、これくらいさせてよ。今日は本当にありがと」
「いえいえ!大事にならなくてよかったっす」
このまま挨拶を交わしたらたぶんもうこんな風に会うことはなくなるんだろうな。
「あ、良かったら……連絡先とか交換しない……?」
気づいたら俺はそれを口にしていた。
女の子に聞く時だって、こんなに緊張したことない。
「いいっすよ!また試合してくださいよ!」
「いーよ。俺も山吹のエースだからね。負けっぱなしは悔しいし、今度こそ君に勝つよ」
「俺だって負けねーっすよ!」
そう言うと、彼は楽しそうに笑った。
それから別れの挨拶をして、薄明の中金色に染まる街に消えていく桃城君の背中を見えなくなるまで見送る。
手に握った携帯電話の中には登録したばかりの彼の名前。
画面に表示されたそれをなぞるだけで、胸が高鳴ってぎゅうっと苦しくなる。
帰ったら連絡してみよう。
まずは今日のお礼を言って、それからまだまだ話足りなかったテニスの話と、学校の話と、あとは何を話そう。
今度会おうって言ったら会ってくれるかな?早鐘を打つ鼓動は期待と、不安と、後はなんだろう?色々な感情がごちゃまぜになってもうよくわからない。
この気持ちはなんだろう?その気持ちの正体を知ってしまったら俺はどうなるんだろう?知りたいような、知りたくないような不思議な気持ち。
もう一度彼に会ったら、この感情が何かわかるのかな。
今別れたばかりなのに、一刻も早く彼の声が聞きたくて俺も夜の帳が降りはじめた街を走る。
次に会う日の約束をどう切り出そうか。それを想像して、心が躍った。
〜終〜
2016/08/23 up