大学の帰り道、携帯に届いた謙也さんからのメッセージを確認すると、講義の都合で少し遅くなるから先に部屋で待っとって、という内容やった。
思わず手のひらの中の鍵を握り締める。
キーホルダーに二つ繋げて持っている鍵。
その一つは自分の部屋。そしてもう1つは、俺の1つ隣の部屋、謙也さんの部屋の鍵や。
謙也さんと想いが通じ合ったあの日、お互いに預けた信頼の証。
マンションに帰り、自分の部屋を素通りして隣の部屋の前に立つ。
合鍵をさして捻ろうとして感じる違和感。手応えが軽い。
何でや、自分の部屋と同じ構造やし間違えるわけない。
まさかと思って扉を引くと、やっぱ鍵はあいとった。
少し遅なる言うてたけど俺の方が遅かったんか?足を踏み入れると部屋のなかに人の気配を感じた。
やっぱり帰っとるんや。
「謙也さん?思ったよりはよ終わっ」
「あ、謙也?おかえ」
俺の声と同じタイミングでそういいかけて振り返った人物は、俺をみて切れ長の目を真ん丸くして固まった。
あれ、あのリアクションどっかで。
「誰!?え、この部屋ってまさか間違い!?」
「や、俺は」
「あー!すみません!怪しいもんちゃいます!兄貴の部屋やと思って、ってあれ?ほなこの鍵……」
「いや、合うてますよ」
何となくあの人に似た面影を持つ少年は多分。
「忍足、翔太くんっすよね」
「え!?何で俺の名前……あ、もしかして財前さん……?」
頷くと、ぱっと顔を輝かせた。
「やっぱりや!話は聞いとります!お隣さんやって!兄貴がいつもお世話になってます!」
こちらこそ、と言おうとしたところで玄関の扉が開く音がする。
続いて聞こえたのはもう聞き慣れた元気なただいまの声。
「財前すまん、おまたせ……って、翔太!?なんでおんねん!?」
「なんでちゃうわ!今日漫画借りに来るって連絡したやろ?」
「そら聞いてたけど、何でこんな時間やねん……もっとはよきて持って帰っとる思ったわ」
「しゃーないやろ部活があってんねやから」
賑やかに会話をする二人を眺めとると、翔太くんの視線がこちらに向く。
「でもこの時間に来てよかったわ。話に聞いとった財前さんに会えたし」
「従姉さんも言うとったけど…実家でどんだけ俺んこと話してはるんすか謙也さん」
「いやその……」
「この前の連休で実家帰って来た時、もーずっと財前さんの話しとりましたわ。侑…えっと従兄弟の兄ちゃんにしばかれるまで延々」
「翔太っ!」
謙也さんは慌てたように翔太くんの口を押さえる。
連休言うたら謙也さんが実家に帰っとった5月のGWや。
あの連休の時はまだ付き合うてなかったけど、あれが俺が自分の気持ち自覚するきっかけやったから忘れるはずない。
謙也さんもそれを思い出したのか、ちらりとこちらに視線を向けて照れ臭そうに困ったような顔で頭を掻いた。
謙也さんがあの頃からそんなにも俺を想っていてくれたことをこんな風に身内から聞くのは、くすぐったいけど嬉しいと思った。
それから、なんやかんやあって翔太くんも夕飯を食べてくっちゅう話になった。
賑かに食事をしている二人を眺めながら、いつか彼に言った言葉が間違いであったことに改めて気が付く。
あの時は、俺のことは弟の代わりなんやろなんて言ってもうたけど、今謙也さんが見せとる兄の顔はこれまで俺に見せとった顔とは全く違う。
あの人の俺に向ける顔は、弟に向ける優しさだけではない熱が込められとった気がした。
賑やかな食事が終わり、翔太くんは帰り支度を済ますと借りにきたという漫画を持って俺たちに向き直った。
「ごちそうさまでした!財前さん、今日はありがとうございました!」
なるほど、謙也さんからも感じていたけれどやはり二人とも育ちはとても良いらしく、礼儀正しく挨拶すると深々と頭を下げてから部屋を出ていく。
扉が閉まると、謙也さんは俺の方に向き直った。
「なんや予定外のことになってもてすまんかったな……」
「そんなんええですよ」
そう言うと、謙也さんは安心したように笑った。
やっぱりその表情は弟に向ける顔とは違っていた。
もうずいぶん前から俺に見せてくれとったその表情を、ずっと弟に対するそれと同じもんやと思っとった。
あの日彼の気持ちを聞くまでは。
「財前……」
慈しむような愛おしむような、そんな表情を俺に向けて腕を伸ばす。
ぎゅっと抱き寄せられて謙也さんは小さく呟く。
「弟には、こんなんせえへんで……」
「おん、ちゃんとわかってます」
あの日、謙也さんの思いに俺は気付かず、その優しさは弟の代わりに向けられとるもんなんやろなんて感情的に言葉をぶつけてしもた。
あの時の謙也さんの表情を思うと今更ながらに申し訳なく思う。
謙也さんはそわそわと落ち着きなく視線をさ迷わせると、何かを訴えるように俺の目を見つめる。
「財前……」
「……謙也さん」
その意味がわかるくらいには、鈍くはないつもりや。
頬に両手を当てて意思を示せば、謙也さんは黙って目を閉じる。
触れるだけのキスのあと唇を離すと、頬を赤く染めて物足りないとでも言うように拗ねたような顔を向けられる。
「……足りひん……もっと」
甘えた顔でそう囁き、はにかむように笑う謙也さんの表情は堪らなく可愛え。
やっぱり、こんな可愛え顔を見せてくれるんは俺にだけや。
2度目のキスに応えながら、これからもそんな関係でいたいと強く思った。
〜fin〜
2017/09/03 up