男同士という壁を乗り越えて、俺たちの想いは通じあった。
告白まではそれはそれは悩んで悩んで悩みぬいて、そして手にした恋人の座。
って、告白してきたんはまさかの光の方やったけど。
長い間想い続けて、漸く終わった片想い。
せやけど俺等の恋は、やっとここからスタートや。
初めて手を繋いだのは、付き合って1週間目。
光はクールやし、必要以上にベタベタすんのは嫌うから、こういうんも嫌なんちゃうかなって思ってた。
せやから俺は行き場のない手をポケットに突っ込んで、毎日何食わぬ顔で光の隣を歩いてた。
部活帰りの道はもう真っ暗で、人の少ない夕暮れどき。
付き合う前から変わらない2人きりの帰り道で、ある日光が不意に俺に言った。
「謙也さん、手貸してくれます?」
あんまり何の気なしに言うから、俺もええよって普通に手を差し出した。
光は俺のその手を取って、掌を合わせて指を絡める。
そしてそのまま下に下ろして、何事もなかったかのように歩き出した。
手は繋がったまま、光は表情も変えずに足を進める。
「光…っ」
「誰も見てないし、ええやろ?」
そう言って、少し笑った光の顔に見とれて、何も言えなくなった。
人通りの多い大通りに出るまでの僅かな時間やったけど、幸せでたまらなかった。
初めてのデートは付き合って二週間目。
今までだって何度も遊びに行ったり部活帰りに寄り道したりしてたけど、そういうんとちゃうくて。
部活が忙しくて、恋人同士としてのデートはまだした事なかった。
出無精な光が誘ってきたのは今話題の映画で、俺がいつだったか何気なく「見に行きたいな」と呟いたもの。
迷う事なく頷いたら、光はホッとしたように微笑んだ。
週末の約束があんまり楽しみで授業中も部活中もそれしか考えられなくて、
授業中教師から鉄拳制裁を受け、部活中は白石から小言を頂戴しても俺の顔はにやけっぱなしだった。
そして待ちに待ったデートの日。
嫌いなものは待ち時間な俺は待ち合わせ時間まで待つことが出来ず、30分も早く着いてしまった。
さすがにまだおらんやろし結局待つんやんけ!と1人突っ込みをしつつ指定場所へ向かえば。
そこには普段あまりみることのない私服姿の恋人が立っていた。
一体いつから待っていたのか、彼はそこから少しも動く様子も苛立った様子もなくただじっと待っていた。
すらっとした佇まいと整った顔立ちにセンスの良いファッション、誰もが光に振り向き視線を送る。
けれど光はそれらの人々には目もくれず、視線は真っ直ぐ俺に向けられた。
「光っ!」
「謙也さん」
「すまん…どんくらい待ったん?」
「全然、ほんの少しっすわ。待ち合わせ時間まだやし気にせんといてください。」
「せやけど…」
「謙也さん、待つん嫌いですやろ?俺謙也さんならいつまでも待てますから。」
さらっとそんな事を言うと、まるで何事もなかったかのように歩き出す。
「行きましょ」
「あ、おん」
光を追って歩き出すと、光は俺が隣に追い付くまで自然に歩みを緩めて、そして追い付くと俺の歩調に合わせて隣を歩いてくれる。
光は俺に甘い。たった二週間で、俺はそれを実感した。
クールでドライな後輩やと思ってたのに、恋人になってみてその態度の豹変具合に驚いたのは一度や二度じゃない。
その優しさは俺にだけ限定で、それが堪らなく嬉しい。
そんな事を考えていたら軽く頬をつねられた。
「アホ面丸出しっすわ」
「……お前な」
「可愛えからええけど。あんま人に見せたらあかんで。」
また、冷たいかと思えば次の瞬間にはこんな甘い台詞を吐く。
これも俺にだけなんやとしたら、ほんまに嬉しいし幸せやと思う。
映画を見て、その後に向かったのは部の連中とは絶対行かないようなお洒落な喫茶店。
しかも女の子やカップルばっかな店やなくて、落ち着いた雰囲気でそれでいて居づらくなくて。
よう知ってたなって聞いたら光はいつもの調子で「たまたまっすわ」とか言いながら、ふんわりと笑った。
頼んだアイスコーヒーを掻き回しながら、光はぽつりと呟く。
「前から…来たいと思ってたんですわ」
「うん?」
「いつか、デートに行くなら何処が良いかとか聞かれたことあったでしょ?」
ああ、そういえば。
テニス部で配られた何かのアンケートにそんな質問あった気がする。
「それに書いた答え、謙也さんと来たいって思いながら書いたんすわ。あん時はまだ、謙也さんと付き合えるなんて夢みたいなもんやったなって。」
「光…」
「今日来れて、ほんまに嬉しい。…謙也さん、おおきに」
「え、何がやねん…?」
小さな声やったけど、店内に響くBGMや周りの雑音の中で、光の声は鮮明に俺の耳に届いた。
「俺を好きになってくれて」
俺の方こそ!って思わず叫んでしまいそうやったけど、照れて何にも言えなかった俺は黙って頷く事しかできんかった。
そして初デートから1ヶ月とちょっと。
俺等は何度かデートを重ねた。
帰り道の寄り道やら休みの日の約束やら。それはもう何度も。
けど、手を繋いでデートしてハグとかもしたけど、キスまではまだしとらんかった。
もうそろそろ次に進みたいんやけど、光はどう思ってるんやろ?正直キスなんかしたことないし、そういう雰囲気とかようわからん。
切り出すタイミングとか、ムードとかやっぱちゃんと考えなあかん、なんてやってるうちに時間はどんどん過ぎていって。
気が付けば付き合い出して2ヶ月を過ぎとった。
そんな進展のない日々を過ごしていたある日。
部活のない放課後、オレンジ色に染まる教室で俺は山のような課題を抱えて、途方に暮れる暇もなく机にかじりついとった。
今日は帰りに光お気に入りの甘味屋に寄ろうなって約束は、無情にもお流れや。
完全に俺が悪いんやけど、何もこんなに課題ださんでも…。
苦手な世界史の課題を後回しにしたのがあかんかった。
そのまますっかり忘れていて、提出日に間に合わずこのざまや。
光は向かいに座って黙って俺を待っていてくれとるけど、申し訳ない気持ちでいっぱいや。
「……光、ごめんな。先帰ってもええんやで?」
「ええですよ。待っとりますさかい、気にせんで。」
「せやけど…」
「俺は謙也さんの傍に居れたらええんですから、ほら、手ぇ動かして。」
そう言って微笑む光を、かっこええなぁ、なんて思ってまう。
俺は相当こいつに惚れとる。
いつだって考えるのは光のことばっかりで。
寧ろ最近は光とキスすることばっか考えていて、それを思うと急にこの状況が恥ずかしくなってくる。
いっつも一緒に居るけど、こうして黙って向き合うことなんて今までなかったから。
自然と視線は光の唇に向いてまう。
そうなると、俺の目は光の顔に向いとるわけで、視線を上にあげると、真っ直ぐ俺を見つめる光と目が合った。
瞬間、空気が変わったのがわかる。
熱っぽくとろけるような真っ黒な瞳に見つめられて、身体が熱くなる。
そのまま頬と後頭部に手が添えられて、思考が停止した。
「ひ、ひか…っ」
「謙也さん……」
光の顔が目の前に迫って、俺自身も光の手で引き寄せられていく。
目を閉じることも忘れて、目の前の光の唇を見つめる。後、一センチ。
「忍足ぃ!いつまでやっとんねん先生帰れんやろぉ!」
咄嗟に身体を離した勢いで俺は椅子ごとひっくり返った。
痛みに顔を顰めて、光は大丈夫やろかとそちらを見やれば何事もなかったかのように平然と元の位置に戻っていた。
「……何しとんねん」
「いや、コントでコケる練習を……」
どうにか誤魔化して、先生は課題を回収して教室を出ていったけど、もうさっきの続きっちゅう雰囲気でもない。
「……帰ろか、光」
「……そうっすね、帰りましょう」
微妙な空気をまとったまま、俺たちは帰路についた。
一度の失敗で諦めてなるものか。俺はリベンジするべく機会を窺っていた。
しかしなかなかどうして光と二人っきりになる機会があらへん。
教室は人が居るし休み時間もどこもかしこも人がおる。
裏庭なんて普段滅多に人なんか居らんくせにこんな時に限って地味ににぎわっとるし。
かといってほんまに人の来ない体育館裏やらトイレやらに連れ込んでファーストキスってどうなん?とも思うわけで。
なんやかんややっとるうちにあっちゅうまに放課後になった。
残すは部活と帰り道のみ。
ちょっと必死すぎやろかって思ってはいる、が、好きな奴とそういう事したいと思うんは普通のことやろ。思春期やしな。
流石に部活の時間は無理やろなぁ、なんて思いながらぼんやりしてたらパシンと頭を叩かれた。
「聞いとんのかいな」
「え?あ、白石……?」
「お前は……俺の話全然聞いとらんかったやろ?」
「あ、すまん」
白石は、はあっと一つ溜め息をついて呆れた顔をした。
「せやから、俺は今日委員会の用事で少し遅れて行くから、先にアップ始めといてくれ言うたんや。」
「あ、ああわかった。」
「ほな、よろしゅう」
そう言って、白石は教室を出ていった。
俺も慌てて荷物を持って教室を出る。
普段なら白石と二人で向かう部室に、今日は1人で来た。
部活メンバーがいるであろう部室の扉を開けると、そこに居ったのはたった1人。
「光」
「謙也さん、部長と一緒やなかったんですか?」
「ああ、白石は遅れるから先に始めとってって、…っ」
そこまで喋って漸く気が付いた。今は今日1日待ちに待った二人っきりで、願ってもないチャンスや。
この機会を逃す手は有るか、と思うのに、意識したら途端に昨日の事を思い出して緊張してきた。
目の前に迫った光の顔、真っ黒な瞳が俺を見つめて、そのまま瞼を閉じて、長い睫毛が触れてしまいそうなくらい近づいて……
あかん、心臓爆発しそう。
悶々とそんな事を考えながらつっ立っていると、光は訝しげな顔で首を傾げた。
「謙也さん?着替えんのっすか?」
「あ、おん……」
どうにも一歩が踏み出せなくて、とりあえずのそのそと着替えを始める。
ああもう、何しとんねん俺……。
それにしてもこんなに緊張しとる俺とは対称的に光は至って冷静や。
昨日の事とか、光は何とも思っとらんのやろか。
今日1日光に変わった様子はなかった。
まさか昨日のあれは思い悩み過ぎた俺の妄想やった、なんて事は……。
そんな事を考えて光の方に視線を向けると、とっくに着替えを終えとった光は俺の方をじっと見つめていた。
いつから見てたんやろか。あんまり真っ直ぐ見つめられていて、恥ずかしくなった俺は咄嗟に目を逸らしてもうた。
目を背けてしまった俺に、その時の光の表情は窺えない。
「謙也さん」
「ん、何…?」
いつもと変わらない声色に、目を逸らしたまま返事を返す。
「髪に塵がついてますよ」
「え!?ほんま!?」
慌てて手で払って見たけど、髪なんて自分で見えないから取れてるのかわからん。
その間に、光は静かに俺の傍に歩み寄っていて、気が付けば目の前に立っていた。
「取ったげますから、じっとして」
「え…あ…うん…」
目の前に迫る光の顔、伸ばされた手が俺の髪に触れたのを感じて、一層鼓動が早くなる。
「取れましたよ」
「あ…おおきに…」
取れたと言いながら、光は離れようとしない。
それどころかさらに近付いてきて、触れただけだった俺の髪に指を入れて、俺の両耳を掌で包むようにして顔を引き寄せた。
「あ…っ」
「謙也さん……目、閉じて」
「ん…」
目をぎゅっと閉じてその時を待つ。
見えないから何処まで近付いとるのかわからんけど、吐息が肌にかかるくらいの距離やってことはそんだけ近いことはわかる。
きっともう後数秒で触れ合える距離や。
その数秒後を待ちわびていた俺に訪れたのは、唇の柔らかい感触、とかやなくて。
「いつまでやっとんねん!!」
扉を開け放つ音と共に、スパーンと小気味いい位の音が室内に響き、遅れてやってきたのは後頭部に広がる痛み。
振り返れば其処には、般若のような形相のユウジがコント用のでかいハリセンを持って立っていた。
「俺等がどんだけ外で待ってたと思っとんねん!!気ぃ使うて黙っとればイチャイチャイチャイチャと!!」
「あらあらユウくん、ええとこやったのに〜」
「いいや、もう我慢ならんで小春!!だいたいおどれらいつもいつも人前でイチャイチャしよってからに俺だって小春とイチャイチャしたいっちゅうねん腹立つんじゃボケぇ!!」
それが本音か。
八つ当たりやないか。小春もう聞いとらんし。
ちゅうか俺等のファーストキスまた失敗やん。
奴等に見られたことよりそっちのがショックなんやけど。
俺どんだけ光の事好きやねん。
「謙也さん」
「ん……?」
「スミマセンでした」
「え……?」
光が謝る理由がわからなくて聞き返したけど、光はそれ以上何も言わず部室を出ていった。
そして光は、それ以降俺に何もしてこなくなった。
キスも、それどころか触れることさえもしてこなくなった。
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